畑は「喜びの源泉」。


相方と話していて、畑は「喜びの源泉」やなぁ、という話になった。

食べものをもたらしてくれるし、野菜の世話をするのは楽しいし、畑や野菜は見ていても美しいし、友人や家族を畑に案内するのも楽しいし、虫や鳥やいろんな生きものが現れて楽しませてくれるし、畑で身体を動かすと元気になるし…いいことだらけ!

昔は畑に全く興味も関心もなかったけど、畑を始めてよかったなぁと思う。もう畑無しの人生は考えられない、というくらい、畑は自分にとって大事な存在となった。

畑とのつきあいは、東京のアパート暮らしの頃に始まった。野菜づくりに興味をもち始めたころ、なんと、アパートから歩いて2、3分の場所にレンタル農園ができた! 8平方メートルの小さな畑だけど、初心者にはその広さで充分だった。自然農法を提唱した福岡正信さんの本で知って試してみたかった「粘土団子」を試みた。赤玉土を粉々にし、いろんな種を混ぜて水で練ってゴルフボールくらいの大きさに固めて、畑にたくさん播いた。団子からいろんな種が発芽したけれど、たいがいは野生の草に負けて、大豆だけが生き残って大豆だらけの畑になった。表面的に得た知識をもとに実行しても上手くいかないことも多いけど、試行錯誤が楽しい。

自分の畑で(レンタルだけど)、自分の手で育てた作物は特別に美味しい。初めての品種が育ったときは、特別な感慨深さがある。初めての大豆。初めての大根。初めてのキュウリ。初めての人参! 初めての感動というのは、初めての時しか味わえないけど、年々深めていく喜びもまた違った喜びである。

東京では、畑をしていると言うと、いいなぁ、やってみたいと思ってるんだけどー、というような反応が多かった。都会では畑がちょっとおしゃれなもの、という感じになっている(いろんな雑誌を見ても、そういう流れになってきているように見える)。かたや、香川に移住してからは、畑というのは、けっこう誰でもやっていて当たり前の存在として語られることが多い。「家庭菜園やけど」とちょっとした謙遜とともに語られる。出荷して、農業で生計を立てていれば一人前で、「家庭菜園レベル」では趣味程度という感覚だろうか。人によって考え方はいろいろだろうけど、とにかく、田畑のたくさん残された地域では畑が日常生活の中に当たり前に溶け込んでいる。

当たり前のようになった存在に対して、改めて喜びを噛みしめる瞬間は少ないかもしれないけれど、長年、畑と共に暮らしてきた方たちにとっても、畑は「喜びの源泉」なのだと思うことが時々ある。ある時、70代後半の活動仲間が、「自分ちの畑で育った野菜は上手い! 買ってきたのとぜんぜん違う! 食べたらわかる!」と熱弁されていた。本当にそうだと思う。野菜は育てている人に応じて育っているに違いない。いつも、その人らしい野菜が育つ。

ぼくは畑を始めてまだ10年にも満たない。畑を楽しみ尽くすまでは死ねないと思っている。畑を始めて元気になって、きっと寿命も延びただろう。


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by 硲 允(about me)
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