神様の声は聞こえる?目に見える存在と見えない存在のこと


「目に見えない存在」というのはいるだろうと思うし、目に見える存在である自分たちにわかる言葉で話しかけてくるというのも信じられる話だけど、「神様の声が聞こえる」というのはぼくは信じていない。

「神様」といっても、人によって定義はいろいろで、万物に神は宿るとか、八百万の神とか、Godsとか、複数いるとみなして、なんでもかんでも神様にしてしまう人もいる。そういうレベルの神様のうちの誰かが人間にわかる言葉で話しかけてくることはあるかもしれない。一方で、この宇宙の始まりをつくった存在(エネルギー)とでも言ったらいいのか、人間を生み出した存在、なのか、そういう万物の存在の根本的な唯一の存在やエネルギーのようなものを「神様」と名付けるなら、そういう神様は人間に対して人間の言葉を通じて話しかけてくることはないような気がしている(証拠も根拠もないけれど)。

「神様の声が聞こえる」と主張する人の言うことを簡単に信じるのは危険だと思う。それが本当に「神様」の声だという証拠も根拠もない。そうじゃないという証拠も根拠もないわけだけど、どっちだかわからないなら、100%信じ込まないほうが安全だろう。証拠も根拠もないのに100%信じ込んでしまうことを「盲信」という。「盲信」はどんなときでも危険だ。

「私は神だ」と主張する見えない存在が、実は低レベルな存在だということも充分にあり得る。「見えない」からといって安易に「有り難がる」のは危険だ。見えていようが、見えてなかろうが、立派な存在もいれば、低レベルな存在もいる。見えない存在の声が聞こえたり、なんらかの方法でつながっている人間に対して「すごい」と安易に思うのも危険だ。見えない低レベルな存在とコミュニケーションがとれたところで何になろう。

見える次元での活動に匙を投げて、見えない世界に精を出すのも危険だ。自分も見えない存在とつながって「すごい人」になりたい、といった気持ちで見えない次元にアクセスしようとすれば、そのエゴを利用して、低レベルな見えない存在がアクセスしてきやすくなるのではないかとも思う。

見えないものははなから否定する、というのも偏狭になるが、見えない世界に憧れすぎるのも危険だ。まずは地に足をつけることで、見えない世界を見る目も冷静になれるのではないかと思う。


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by 硲 允(about me)