「地域に溶け込む」ことを求める圧力と、地域で仲良く暮らすための心掛けについて


「地域に溶け込む」とか「田舎に溶け込む」という言葉のニュアンスには前々から違和感があった。「溶け込め!」という強迫観念をどこかで感じる。

先日、とある自治体の移住関連ページを見ていると、そこにもやはり、地域に溶け込む覚悟が大事、というようなことが書かれていた。50歳代でひよっこ、60代で見習い、70代でようやく一人前(だったかな?)というようなことも書かれていて、とにかく、その地域の年輩の人たちに従え、というようなニュアンスで、あからさまな年功序列を押しつける感じで、こんな地域に移住したら若者は苦労するだろうなぁと思った。

ここまであからさまにされることは少ないけれど、「地域に溶け込む」というのはまさにこういうことを求められているのだろうと思った。

ぼくは東京から香川に移住したけれど、幸い、「地域に溶け込め」という周りの圧力からはほとんど無縁で暮らしてこれた。自治会に入ろうとしたら、「恒久的にここに住まんのだったら、出るときに厄介やから入らんほうがええよ」と言われ、自治会には入っていない。ご近所さんも都会的な方で、時々立ち話する程度のおつき合い。田畑を使わせてもらうのに近所の農家さんと最初はちょっとした軋轢があったが、今はあたたかく見守ってくれている。地域に溶け込まされたり、溶け込まそうとする圧力を受けて苦労する話をよく聞くので、大変ありがたい状況だと思う。

年功序列型や、先に居る者に従えという先行者優位型の「地域に溶け込め」圧力は好きじゃないけれど、その地域に住む人たちと適度な距離感でつき合いつつ仲良く暮らすのは大事だと思う。

そのためには、どういう心がけが必要だろうか、ちょっと考えてみた。

まずはその地域のことを知る

その地域で昔から脈々と続けられてきたこと、慣習、風習、文化などをよく観察して、まずは知るところから。

相手が嫌がることをなるべくしない

みんなが使う通路の草を自分が管理するような場合、自分はある程度草が生えていても構わないとしても、地域の人たちは常にすってんてんに刈るのを好むような場合がある。そういう場合、自分はそこまで刈る必要がないと思っていても、まずは周りの好みに合わせることも大事だろうと思う。

自分の考えをいきなり主張し過ぎない

相手に自分の考えを押しつけるわけでないとしても、自分の考えを主張すると、それと違う考えをもっている相手は自分が否定されたように思う場合が多い。信頼関係ができていない相手にいきなり自分の主張をしまくっても、「あいつは口ばっかりエラそうなヤツだ」とか「生意気なヤツだ」と思われて、話を聞いてもらえなくなったり、運がわるければ嫌がらせを受けるようなところまで発展するリスクがあるだろうと思う。

行動で示す

口でいくら立派なことや正しそうなことを言っても、実践がともなわなければ周りからの信頼は得られない。周りとの軋轢を生みそうな事柄は特に、まずは黙々と実践して行動で示すことで、周りからの関心や信頼が生まれる場合が多いように思う。

適度な距離感を保つ

人間、距離感が近くなりすぎるとロクなことがない場合が多いように思う。お互いが心地よい適度な距離感を探り、平常時はお互いが望むとき、望む範囲で関わり合い、協力しあえる関係が望ましいだろうと思う(緊急事態のときはお互い様で無理をしてでも助け合える信頼関係も必要だと思うけれど)。

お互いの意志を尊重する

根本的にはこれが一番大事だろうと思う。その地域の一員だからといって、参加したくないことに参加させられたり、というようなことが続けば、その地域が嫌いになり、最終的には出ていってしまうだろう。
「お互いの意志を尊重する」というのは自分側だけでは難しいわけだけど、小さなところからでも、自らがそれを実践することで、それが広まっていく可能性が生まれる。


どれだけ自分が工夫したりがんばっても、その地域では他の人たちと仲良く心地よく暮らしていくのは無理!というような場合もあるだろう。一概に「地域」「地方」「田舎」などといっても、場所によって地域の特性は大きく異なる。自分が求める暮らしや、コミュニケーションスタイルなどによって、すぐに心地よく暮らせる場所もあれば、かなり難易度が高い場所もあるだろう。移住する際にはよく下調べするのが大事だと思うけれど、「間違えた!」と気づき、自分の力ではどうにもならないとわかった場合、早めに撤退して次に移る潔さも大事かも。


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by 硲 允(about me)