何をするにしても、まずは自分自身が楽しむことが肝心だと思う。
何事も、最初は楽しくて始めたとしても、だんだん欲が出てきたり競争したり、能力や技術に執着したりし始めると楽しさが薄れてくる。
時には苦闘する時期があったとしても、根底に楽しさがなければ、なんのための人生だろう、ということになってしまう。
何のための。誰のための。
楽しくないのに続けてしまっている、というのは、行動や気持ちの軸を他人に預けてしまっている場合が多いように思う。
誰かが期待してくれているから。誰かが喜んでくれるから。誰かの役に立てるから。
それで自分も喜べて、楽しくて、生き甲斐を感じられるならいいけれど、自分を犠牲にしているように感じたり、自分の人生を充分に楽しめていないと感じているなら、無理が蓄積してどこかで破綻が生じるものだろうし、頑張ってそのまま行ったとしても、死ぬときに自分の人生に満足できるだろうか、と考えると、やっぱりそういう状況からはなるべく早く抜け出したほうがいいと思う。
いつの間にか毎日、楽しくないことばかりになって、自分が何をしたら楽しめるのか分からないような状況になってしまったなら、まずは、とにかく小さなことでもちょっとでも楽しめることを探してやってみたり、楽しくないことをしなくてもいいように少しでも減らしていったり、気が進まないけどどうしてもしなくてはいけないことがある場合、その中で少しでも楽しいことを探したりしていけば、だんだんと楽しいことが増えていくかもしれない。
どういう気持ちを「楽しい」と呼ぶかは人それぞれ微妙に(時に大きく)ずれていると思うけど、自分や他人の幸せにつながらない楽しさは一時的で表面的なもので、そういう楽しさを追求しても、どこかで行き詰まることになるだろうと思う。
誰にも迷惑をかけず、自分の人生を充実させることのできる楽しさとはどんなものか。「楽しむ」というのは単純なようで奥深い。
表現活動においても本人が楽しんでいるというのが非常に重要だと思う。苦心はあるにしても、根本的に楽しみながら生まれた表現というのは生き生きとしていて、受け手に元気を与える力が宿る。表現活動というのは継続することも大事だけど、心から楽しめないときは、一時的に休むこともまた大事だろうと思う。
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by 硲 允(about me)