「自分中心」とSNS

他人のことを気にしすぎ。だと思う。自分も含めて。

SNSはそれを固定化・強化・拡大する力をもっている。

時々タイムラインをチェックするといっても、その「時々」の威力はあなどれない。じんわりとずっと効き続けるものだ。

「気にかける」と「気にする」は違う。「気にかける」のなら、SNSもわるくないと思う。でも、SNSでは、相手の本当のところがわからないことが多い。わかったつもりになるのもこわい。「気にかける」なら、SNS以外の手段がふさわしいことも多いだろう。

内容の薄い投稿をアップし、内容の薄い返事をやりとりする時間を集めれば、心をこめて書いた手紙を一通出せる。とはいっても、そんな余裕が時間にも心にもないから、隙間時間でできるSNSが人気なのだろう。

ものは使いよう。SNSも、使い方によって、善にも悪にも有意義にも無意味にも化けるだろう。だから、SNS自体を否定しようとは思わない。連絡手段として役立ったり、必要な情報が得られることもあるし、知り合い以外に情報を届けやすい。その一方で、無駄や面倒も多い。その無駄や面倒を意識するユーザーは増えてきているのではないかと思う。

「自分中心に生きる」というのは、「自分勝手に生きる」ことや「ひとりよがりに生きる」こととは違う。自分というのは少なくとも自分にとっては中心的存在で自分の人生にとっては主人公であるはずだ。その感覚を薄れさすような使い方をしていれば、SNSは少なくともその人の人生にとって有害な存在となりかねない。


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by 硲 允(about me)