by meditation / hape_gera |
「スピ系」という言葉をぼくがよく聞くようになったのは、ここ数年のことです。
「スピ」というのは「スピリチュアル」の略です。英語では "spiritual"。ロングマン英英辞典でspiritualの意味を調べてみると…
1 relating to your spirit rather than to your body or mind
2 relating to religion
Wikipediaで「spirituality」の項目を見てみると、次のような説明があります。
英語のspiritualityに当てはまる日本語はないため、文脈によって霊性、霊的、精神世界、精神性、精神主義、宗教的など様々に訳されるが、意味の限定や誤解を避けるために、カタカナ書きまたは英語で表記されることも多い。
というわけで、本来、「スピリチュアル」というのは非常に幅広い概念ですが、「スピ系」というと、また違ったニュアンスを感じます。
「スピ系」の厳密な定義が存在するわけではなく、その定義を議論しても仕方ないですが、ぼくが「スピ系」と聞いてイメージするのは、神様や天使や妖精や精霊などの存在を信じていて、そういう本が家にたくさんあって、癒されるためのセミナーにも通い、パワーストーンやアロマを活用し、祈りや言霊の力や「引き寄せの法則」を信じ、ネガティブな言葉はなるべく口に出さないようにし、自分がポジティブな波動を出していればそれが世の中に広まって世界がよくなると信じている…、というような感じでしょうか。
ぼくも、神様や天使や妖精や精霊などが存在するかもしれないという「可能性を否定していない」し、「日本の神様カード」や「日本の神託カード」を引くのも好きだし、「レイキ」のアチューンメントを受けたこともあるし、パワーストーンもアロマも好きだし、祈りや言霊の力や「引き寄せの法則」をある程度信じているし、ネガティブな言葉は必要以上に使わないようにしているし、なるべくポジティブな気持ちでいたいと思っていますが、じゃあ、ぼくも「スピ系か?」と言われると、「違う」と言いたくなります。
上に挙げた「スピ系」のイメージにもう一つ付け足したいものがあります。
それは、自分が感じたこともないことを信じ込んでいる ということです。
死んだら魂がどうなるとか、自分を選んで生まれてきたとか、ネガティブな社会問題に目を向けずポジティブな気持ちで祈っていれば世の中が平和になるとか、そういうことを本を読んだり誰かの話を聞いて、自分が経験で知ったわけでも体感したわけでもないのに信じ込んでいる人もいるようです。
ぼくは目に見えないものにも興味がありますし、ヒーリングや、そのための手段や道具(パワーストーン、アロマ、占星術、数秘術、レイキなど)も上手く活用していくのはいいと思いますが、誰かすごそうな人が言っているからといって、それをそのまま信じ込んでしまうのは非常に危険なことだと思います。
ネットでちょっと調べてみると、スピ系をターゲットにしたネットワークビジネスなんていうのもあるようですね。心の弱っている人は、藁にもすがる思いで、自分を癒してくれそうなものに頼ってしまうのでしょう。そういう心理を利用した卑劣なビジネスも存在するので、気をつけなければなりません。
とにかく、自分の心で感じることです。
「この人、自分で体感してもないことを真実であるかのように語ってるな」と思ったら、そういう人の言うことは信じないことです。
自分の頭で理解したことと、自分が体現していることの違いを知ることです。
ぼくも油断すると信じ込んでしまいやすいほうで、『神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (ニール・ドナルド ウォルシュ )』シリーズや『アナスタシア (ウラジーミル・メグレ)』シリーズなどを読んでいると、なるほど、と思うことが書かれているので全部そのまま信じ込んでしまいそうになるのですが、「そういう考えもある」「そういうふうに感じられるようになりたい」くらいにとどめ、「わかった気」にならないように気をつけています。
こういう本を連続して読むと、頭でだけ偉くなったような気になりがちなので、読み過ぎないように心掛けています。
人間の思想や価値観というのは、自分が関わりを持ってきた人や社会に影響されるものです。日常の暮らしで、物質的なほうに偏りすぎてきたと思ったら、こういうスピリチュアルな本を読んでチューニングし直すこともあります。
最近思うのは、要は自分がこの世に何を生み出したいのか、自分がどういう人間になりたいのか ということです。
他者の思想や言行は、それを決めるうえでの材料とはなっても、そのまま解答にはなりません。他人の言うことをそのまま信じ込むのも、その人の意思の自由であり、他人の考えを信じ込むことによって生まれるものを創造したいのならそれもその人の自由なわけですが、ぼくはそういうことを望まないし、自分で望んでそうしている人も少ないのではないかと思います。
自分がこの世に何を生み出したいのか ということには、どんな変化をもたらしたいのか、ということも含みます。人間というのは、互いに影響を与え合う力があり、現実に、互いに影響を与えあって生きています。よくも、わるくも。他者にどういう影響を与えたいか、というのも、その人の意思に任せられています。ぼくは、他人の言うことをそのまま信じ込む人を減らしたい、という思いから、この記事を書きました。それをどう受け取るかも、読み手の自由に任せられていて、読んだことをもとに何を創造していくかも、その人の自由なわけです。
by 硲 允(about me)