「他人に遠慮せずに自分を表現する場」、持っていますか?

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「他人に遠慮せずに自分を表現する場をもつ」。そんな言葉がふと浮かんできました。

人間というのは互いに学び合って成長していくものですが、他人との関わりのなかには、他人に流されて、あるいは他人に合わせているうちに自分を見失ってしまう危険性もあります。

本来の自分を取り戻し、自分の意図や意思をはっきりさせ、自分が望むものをこの世に生み出していくためには、「他人に遠慮せずに自分を表現する場をもつ」ことが重要なのではないかと思います。

ぼくの場合は文章を書くこと。表現したいことに合わせて、ブログを書いたり、随筆や小説を書いたり、詩のようなものを書いたり。

「他人に遠慮せずに」といっても、他者への配慮や思いやりは必要です。不必要に誰かを傷つけるようなことを書いたり、相手に見えないところで攻撃したりするのはよくないと思っています。ただ、誰かに遠慮するあまり、自分の望みや理想を語れなくなったり、必要だと思う批判ができなくなったりするのは嫌なので、なるべく自由にものを言える状態を維持するように心掛けています。

facebookは「遠慮」が強く働きがちなので、使わなくなりました。ブログというのは、自分専用のアトリエスペースで展示会をして、見たい方はいつでも見にきてください(留守にしていてお話はできませんが)、という感じですが、facebookは大広間で宴会をしているようなイメージです(しかも、今までに知り合った人全員が出席している)。大人数での集まりなので、社交的な会話になるし、話を他の誰に聞かれているかもわからない。お酒をついで回って(「いいね」を押して回って)、次々にいろんな人の相手をするが、時間も限られているし浅く広くの関わりになる。「自分を表現する」どころの話ではなくなるわけです。

そういう「社交場」としてfacebookを活用するのはありだと思いますが、ぼくは面倒なのでやめてしまいました。

「他人に遠慮せずに自分を表現する場」、ありますか?

文章でなくても、絵でも、歌でも、書でも、ダンスでも、表現手段は人それぞれ。

もっと多くの人が、自分が本当に表現したいものを思いっきり表現できるようになれば、もっと楽しく、もっと平和な世の中になるのではないでしょうか。