人生において自分の全力を出し切るには



どうも人間というのは、ちょっと油断すると怠けるようにできているらしく、100%、全力を出し切っている人というのは滅多にいないでしょう。

自分ではどうにもならない、環境による制限や条件というのは、誰にでもありますが、そのなかで100%、全力を出し切れるかどうか。

生まれもって与えられた才能がどうあれ、全力を出し切った人間は、そうでない人間には想像もできない領域に達するものなのでしょう。

自分の周りの環境や境遇のせいにして自分の全力を出さない人も多いと思いますが、全力を出し切れば、環境すらも変わっていくことでしょう。

そういうぼくは、100%、全力を出し切ってきたのかというと、自信を持って「うん」とはとてもいえません。

ただ、自分に持っているはずの能力を十分に発揮しないまま人生を終えることへのおそれのようなものが、学生の頃からありました。

だから、人生を進路を大きく左右するような岐路に立ったときはいつも、自分の能力を最も発揮できる道はどれか、という基準で選んできました。

「こっちのほうが得だよ」「こっちに行かないのはもったいない」「普通はこうするもんだよ」といった助言をいろんな人がしてくれますが、そういう助言というのはたいてい、「世間の価値観」「誰が言い出したかは知らないけどよく言われていること」「(ぼく以外の)誰かがそれで幸せになってそうに見える道」というようなことを基準にしています。

人間というのはたいてい、自分のことだけでも精一杯で、他人のことを自分のことと同じくらいよく知り、他人の幸せを自分の幸せと同じくらい願い、自分自身の人生の道を判断するときと同じくらいのエネルギーを費やして他人の人生を考える人というのは、そうそういるものではありません。

だから、一番間違いがないのは、自分のことは自分で決める、ということです。ただし、 助言というのは、相手をおとしめてやろうとしてしているようなことは、これも滅多にないでしょう。たとえ考え足らずであろうが、的外れであろうが、そこには(量や純粋さはさておき)親切心もこもっているわけです。そのまま取り入れられなくても、何かヒントや自分で考えるきっかけになるものが含まれていることがあります。

自力だけでも偏狭になるし、他人頼りでは、自分の力を発揮できず、うまくいかなかったら他人のせいにすることになる。

他人のせいにしていると、自分の全力を出そうという気にはなれません。他人の言うことを参考にしつつも、自分の責任は常に自分でとる。自分の力を出し切るには、それが大事なのだと思います。