ぼくが「好きなことしかできないサイクル」に入った経緯と「好きなことやれないサイクル」を抜け出す方法について。

面白い記事を見つけたと言って、先日、相方が教えてくれたのがこちら。

日本の『好きなことやれないサイクル』はヤバい。年を取れば取るほど取り返しがつかなくなるので、若者の皆さんは早めに抜け出してください。 - かずかずのたまご




「日本の『好きなことやれないサイクル』」、ぼくもこれは非常に残念なことだと思っています。

「みんな好きなことすればいいのに(できたらいいのに)」と思っても、自分は何としてでも好きなことをして生きていく、という選択肢を選ぶ人は少数派です。かずかずさんが指摘されている『好きなことやれないサイクル』にはまりこんでしまい、そこから抜け出そうとせず、抜け出せない自分を正当化してしまうのです。

そういうぼくは、いつの間にか『好きなことしかできないサイクル』に入ってしまいました。

それはたまたま、環境が恵まれていたということも大きいでしょう。それに昔から、「好きなことしかできない」人間だったようにも思います。

中学生の頃、バスケ部に入っていて、「スリーポイントシュート」に夢中になっていました。(バスケに馴染みのない方のために一応説明しておくと、普通、ボールをゴールに入れると2点入るのですが、遠くからシュートを決めると3点入り、それを「スリーポイントシュート」と呼びます。)リングに触れずにボールがネットを揺らす「シュッ」という音が好きで、その快感を味わうために、全体練習が終わったあとは「スリーポイントシュート」の練習ばかりしていました。ところが、ドリブルとかパスとか、他の練習が足らず、しかも試合で邪魔が入るとシュートが入らず、実践ではほとんど使いものにならず…。今思うと、ずいぶん間抜けなことをしていたなぁという感じですが、当時は何の疑問も持たず、「スリーポイントシュート」の練習に明け暮れていました。

高校に入ってからは、英語が好きになり、毎日英語の勉強ばかりしていました。文法や構文を一通りマスターしたあとは、毎日、ひたすら英単語の暗記。ほかの科目の授業中にも、こっそり英単語ノートを広げたり、教科書を英訳してみたり。おかげで、興味のない教科は全然ダメで、物理や化学は0点ということもしょっちゅうでした。世界史では、カタカナの人名を覚えるのが嫌で、教科書に出てくる人名の下に小さく載っていた英語名で覚え、テストで英語で書いたら先生に怒られました。しかも、覚えたばかりの同じ人名ばかり、人名を答える全部の問題に書いたので、どんなけなめとんのや、って感じですね。よくそれで卒業できたのものだと思います。

かずかずさんの書かれている、「偏差値という一つの画一的な物差し」…これには学生の頃から違和感、というか反抗心を持っていました。「なんな、偏差値って」「点数だけでいいんちゃうん?」、と相手にしていませんでした。「どうやって計算してるかも知らんし…」

それでやってこれたのは、たまたま運がよかったのかもしれません。高校は推薦入試で合格し、中学校の定期試験の成績と作文か何かだけで入れたので、教科の入学試験を受ける必要がありませんでした。大学入試は、二次試験は英語だけで、センター試験も英語が重視され、他は国語、数学、社会(暗記する内容が少なくて済む「倫理」を選択)だけでよかったので、英語以外はほとんど勉強せずに済みました。

かずかずさんは、大学に入った後について、こう書かれています。

そして4年間のパラダイスも束の間、目的意識を持って生きている少数の学生を除いて、就活ではブランド力のある企業ほど良いというこれまた偏差値みたいな画一的な物差しによって多くの学生が動かされます。そして今までの人生と全く関係のない会社に入っちゃったりします。

ぼくは高校のときに、「英語」という好きなことに出会ってラッキーだったと思います。大学の4年間は、高校のときから興味のあった英語音声学を学んだり、通訳を勉強するサークルを立ち上げて勉強したり、好きな英語を思う存分勉強できる充実した毎日でした(大学を卒業するためにはつまらない授業を受ける必要もありましたが)。

そうやって、好きなことばかりしてきた人生ですが、『好きなことやれないサイクル』に入りかけたこともありました。

大学生活も終盤の頃、コンサルタントの大前研一さんの『ザ・プロフェッショナル』という本を読んだのがきっかけで、誰かの言葉を訳す通訳ではなく、自分の頭で考えるコンサルティングのような仕事がしたいと、路線変更したことがありました。それで、とりあえず企業に就職しようと、大手電機メーカーに願書を出してみたり(単に電化製品が好きだったので)、大手よりベンチャーのほうがいろんな経験が積めると聞いてはベンチャー企業でちょっとだけ働いてみたり…。結局は大学卒業後、翻訳や英語リサーチをする小さな会社で働き、起業を目指していたものの何もできず、その後会社を辞め、コンサルに転職しようとしましたが、そのうちに実はビジネスには興味がないのではないかと気づいてフリーランスというかフリーターになり、大学生に混ざって塾のバイトをしたり…。

そんな感じでふらふらし、自分の「好きなこと」がわからなくなっていました。

とにかく、当時、フリーで自分にできそうなことといえば翻訳くらいしかないと考え、かといって翻訳の仕事の経験も浅いので自信がなく、勉強しなければと思い、日本語の勉強にと思って日本語の小説を読みはじめたわけですが、小説が面白くなって、翻訳よりも日本語で文書を書くことに興味が向かい、今に至ります(翻訳も自分の興味のある内容や伝えたいことを訳すのは面白いので続けています)。

運よく、また「好きなこと」をするサイクルに戻れましたが、もし、就活で大手企業から内定をもらって就職していたり、ベンチャー起業で働き続けていたら、毎日の業務に忙殺されて「好きなこと」どころではなくなっていたかもしれません。

かずかずさんは、『好きなことやれないサイクル』から脱出する方法の一つとして、「大学在学中に抜け出す」ことを提唱されています。

現行の『好きなことやれないサイクル』の中の、唯一の穴が大学です。僕が経験した限り、大学在学中は画一的な物差しの力が比較的弱まります。世間も学生には結構優しいです。ようやくやって来た、この誰も何も言ってこない人生のサンクチュアリ期間を活用して、なんとかこのサイクルを脱したいものです。

ぼくは高校と大学の間にひたすら英語を勉強しておいて本当によかったなぁと思っています。そのおかげで、人生の道に迷ったときにあてもなくフリーになっても、それまでに蓄積していた英語の能力を生かして何とかやっていくことができて幸運だったと思います。

大学時代というのは4年もあるので、その間に、何らかの「手に職」をつけておき、いざとなったらそれで生きていけるようになっておけば、知らずに「ブラック企業」に入ってしまったり、働き出した後で急に方向転換したくなったときにどうにかしやすくなると思います。

かずかずさんは、大学中に「ネットで何か作ってみる」ことも提案されていて、これはぼくも近頃よく思います。

学生の頃というのは勉強してインプットすることが中心になりがちですが、勉強したことをアウトプットしていくことで、自分というものがよりはっきりとしてきて、「好きなこと」も見つかりやすくなるのではないかと思います。

大学生の頃、ぼくは気まぐれな日記や勉強記録を自分のメモのように書いたブログをやっていましたが、もっと本気で書いていたらよかったなぁと。英語や通訳の勉強法などをかなり熱心に調べたり実践したりしていたので、そういうことを発信していれば、自分の知識も深まるし、コンテンツをつくる技術も磨かれたと思います。最近になって、ようやくアウトプットの重要さがわかってきましたが、インプットしたことを基にどんどん自分の考えや想いをアウトプットしていくことは、『好きなことやれないサイクル』を抜け出すためにも役立つと思います。

『好きなことしかできないサイクル』に入ったからといって、ラクして怠けてばかりいるわけではありません。

最近の暮らしといえば、田畑でお米や野菜を育てたり、森の手入れをしたり、古民家をリフォームしたり、小説やブログを書いたり、と、基本的には好きなことばかりしているわけですが、ラクなときばかりではありません。身体が疲れきっていても、田植えを間に合わせるためにふらふらしながら田んぼに行くときもありますし、小説を書くときも一文一文、苦しんでいます。ただ、好きじゃないことをし続けなければならない苦しみとは全く種類が異なります。好きなことに伴う苦しみは、最後には報われると信じながら味わう苦しみです。好きなことを続けて何かを達成したときには、苦しみも喜びの糧となります。その一方で、好きじゃないことに伴う苦しみは、それが自分の糧となり最後には報われるのだとは信じられずに受けなければならない苦しみです(そこから脱したときには、あの苦しみは無駄ではなかった、むしろそれが生かされている、と思えるかもしれませんが)。

さて、ぼくはたまたま運よく『好きなことしかできないサイクル』に入ることができましたが、『好きなことやれないサイクル』から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか。

ぼくは第一に、「暇」が必要なのではないかと思います。かずかずさんのおっしゃる通り、そういう意味でも、大学時代は絶好のチャンスです。

学生を卒業して、働き始めると、たいてい「暇」がなくなってしまう。それまでに「好きなこと」が見つかっていないと、朝から晩まで好きじゃない仕事に追われて、「好きなこと」を探すどころではなくなってしまう。

何らかの仕事を始めてから『好きなことやれないサイクル』を脱するには、もう一度「暇」を持つことが大事ではないかと思います。

好きじゃない仕事を辞めて、生活費のあまり掛からない田舎に引っ越して、週に何日かだけアルバイトをしながら自分の好きなことを探し、少しずつ、好きなことだけをして暮らせるようにシフトしていくというのもありです。香川に移住してから、そういう人が周りにたくさんいます。

そこまで抜本的に環境を変えるのが難しい場合、とにかく好きじゃないことや惰性でしていることをどんどんそぎ落としていくのはどうでしょう。つまらないテレビは見ない。SNSで暇つぶしをしない。気のすすまないお付き合いをやめる。「好きなことをするサイクル」につながらないと思えることを徹底的に洗い出してそぎ落としていけば、結構時間を確保できるのではないでしょうか。そうすると、世間の固定観念があふれた場所から距離を置くことにもなり、「画一的な物差しの力」がゆるまっていくのではないかと思います。

大学は4年間のパラダイスなどと言われますが、「好きなことばかりするサイクル」に入れば、いつでもパラダイスは取り戻せます。ぼくは大学生の頃より、今のほうがパラダイスです。大学生の頃は、つまらない授業にも出席しなければなりませんでしたが、最近は、「早く時間が過ぎてほしい」と思うようなことはめったになくなりました。

かずかずさんはこう書かれています。

好きじゃないことをやってる人は基本的に不幸せで、好きなことをやる人の足を引っ張ろうとするので、どんどん減らしていかないといけません。

好きじゃないことをしていたり、自分のことで精一杯だったりすると、他人の幸せを望むことは難しくなります。ぼくも今ほど自分の好きなことができていなかったときは、今より他人に無関心でした。

しかし、自分が好きなことをして暮らしていけるようになると、自分だけこんなに楽しくしてていいのだろうか、というような気持ちも生まれてきて、誰かの役に立つようなこともしたくなってきます。誰かの足を引っ張ってやろうなんていう気持ちは起きません。

だから、好きなことをして暮らしている人は、「自分ばかり好きなことをして…」と後ろめたく思うのではなく、もっと自分を肯定してもいいのではないかと思います。

ただし、自分だけよければいい、というような気持ちを戒め、「好きなことをするサイクル」の輪を広めていくべく、自分にできることを続けていきたいと思っています。

「好きなことを仕事にする」(珍妙見聞録 第1巻)という本には、そういう想いもこめています。


それにしても、いい記事を読むと、それについて自分も何か書きたい、という気持ちを呼び起こしてもらえます。かずかずさんに感謝。