書けば書くほど、書きたいことは増えていくものです。



「人間は書くことで自分を更新していける」

そんな言葉がふと浮かびました。

出し惜しみせず、書けば書くほど、さらに書くべきことが次々に生まれてくる。そう感じています。

同じことを何度も書くわけにはいきません。それを読むほうも面白くないし、書いているほうも飽きてきます。書いてしまえば、言ってしまえば、次のことが書きたくなります。言いたくなります。

小説家のエッセイを読んでいると、日常の暮らしで得た「ネタ」が小説の材料になるので、簡単に出してしまわずに大事にとっておく、というようなことを書かれているのをよく目にします。

ぼくは小説も書くので、小説に使えそうな材料はブログで書かないようにしようと思っていた時期もありますが、最近はそんなことは気にせず、ブログで書きたいことは出し惜しみせずにどんどん書いてしまっています。

日常で得た材料と言っても、小説で使えることはそのうちのごくわずかです。材料が面白いからといって、材料ありきで小説を書くとうまくいきません。小説のなかの物語を進むに任せたなかで、自分の日常の材料と自然につながるものでなければ、材料が「浮いて」しまいます。

ブログというのは、日常で得た材料を次々に文章として形にしていきやすい媒体です。日常の暮らしで得た面白い材料を、小説の形で生かすとなると一苦労ですが、ブログではその材料自体をほとんど加工せずにそのまま形にしていくことが可能です。そして、その材料に対する自分の思いや感情を直接的な形で表現していくことができるのも、ブログが好きな理由の一つです。

そして、次々に書いてしまったからと言って、「ネタ」が尽きることはありません。

もちろん、ネタが生まれるような生活を日々営んでいく必要があるわけですが。

そもそも、書く「ネタ」がないのであれば、それは書き方に問題があるのではなく、暮らし自体に問題があるとぼくは考えます。書く「ネタ」が次々に生まれるような暮らしがしたい。

そんな暮らしをしていれば、暮らしで得た「材料」を出し惜しみする必要がなくなります。暮らしの中で何かをし、どこかへ行き、誰かと会い、何かを話すなかで、「材料」は次々に生まれてくるものです。

そして、自分の考えや想いというのも、出せば出すほど、書けば書くほど、次々に更新されていくものです。頭の中、心の中にとどめておくだけでは、えてして、堂々巡りになりがちです。外に出してしまうことで、物理的に客観視してそれを自分で眺めることができる。そして、それを超える視点や、今まで見えなかったものを見いだしていける。そういうものだと思っています。

だから、書けば書くほど、書きたいことは増えていくものです。

このペースで、これからもひたすら書き続けるつもりです。