一着の服になるまで

織り物や縫い物や編み物をしていると、糸との付き合いが深まってくる。

ファストファッションであふれ、服が安く買えて、まだ十分着られるのに使い捨てにされることの多い世の中だけど、一着の服ができるまで、どれだけの労力がかかっていえるかを考えさせられる。

綿の糸であれば、綿を育て、紡ぎ、洗浄したり漂白したり染色したりして、ようやく糸になり、デザインを考える人がいて、そこから織ったり編んだりしてようやく服になり、ブランディングやマーケティングをおこなって商品とし、流通に乗って店に並ぶ。さらに細かく見れば、この過程で必要な機械を設計したり、メンテナンスしたり、工場の掃除をしたり、トラックの運転に整備、トラックが走るために必要な道路の建設やメンテナンス…人間のさまざまな労力を経て、ようやく「消費者」のもとに一着の服が届く。

日本でもかつて、布が貴重で高価だった頃は、一着の服を何度も繕いながら着続け、最後は掃除用の雑巾になるまで使い切ったという話を聞く。今では、百均で真っ白な雑巾が販売されているが、どうせすぐに汚れる雑巾に新品の布を使い、しかも大地や川を汚してまで漂白する必要があるとは思えない。機械化された世の中は、一見、効率的に見えて、背後まで知ったり想像したりすると非効率的なことにあふれている。掃除用の雑巾は着古したボロで十分なのではないだろうか。

綿を育てるところから服にするまで、自分で全部やろうとすると気の遠くなるような作業が必要だけど、そのうち、綿も育ててみたくなっている。


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by 硲 允(about me)