パチンコとスロットと自力と

小学生の頃、パチンコに興味を持ったことがあった。

本物のパチンコ台が祖母の家にあり、玉を弾くのが面白かった。

どういうわけか、パチンコ屋に連れて行ってもらった記憶もある(今どきだど、すぐに子どもは入店お断りと言われるだろうけれど)。釘の打ち方のよさそうなのを選んで玉を入れて弾く…いいところに入るとスロットが回りだす…わけだけど、スロットを自分で止められないのが不満だった。パチンコ台任せかよ、という感じで、自分のテクニックではなく、運の世界だと知り、興味を失った。

メダルゲームのスロットマシンにしても、スロットを自分で止めているつもりでも、ストップボタンを押した場所ですぐに止まらず、スロット台の機械が任意の場所で止めるので、腹が立った。せっかく狙った位置でボタンを押しているのに、そのタイミングでスロットが止まらず、無駄な努力をしている感じで、やらされている感が否めない。

自力でやっているように見えて、他人に操られているようなことは、子どもの頃から嫌いだった。

人生、当然ながら、自力だけではどうにもならないこともある。野菜を育てるにしても、その年の天候が大きく関わってきて、自然任せのところが大きい。

自力だけでどうにもならなくても、自然相手ならいいけれど、他人のよからぬ思惑に左右されるのは精神的ストレスが大きい。人間相手に疲れたときは、自然の大きさに癒やされたくなる。


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by 硲 允(about me)