映画『劇場版 アーヤと魔女』を観て。

先日、映画『劇場版 アーヤと魔女』を観てきた。

映画はめったに観ない(年に1回観るか観ないか、くらい)が、ジブリの映画は気になる。宮崎駿監督のコメントを観て、なおさら観に行きたくなった。

『劇場版 アーヤと魔女』は、想像以上に「アクション」の多い映画でちょっと疲れたが、一方で元気ももらった。宮崎駿監督の言うように、アーヤの「したたかさ」がよかった。厄介な相手が現れたり、そういう相手と日々付き合わなくてはいけなかったり、困難な境遇に置かれても、へこたれず、後ろ向きにならず、内に引っ込まず、空想に逃げず、したたかさを武器に果敢に立ち向かい、自分の望む状況や結果を目指して勇敢に、はちゃめちゃに突き進んでいく。

この映画の監督を務めた宮崎吾朗さんのインタビュー記事を読むと、お年寄りからの評判がよかった、というようなことを話されていた。アーヤのようなエネルギーに溢れた子どもの姿がお年寄りになにか懐かしさのようなものを感じさせたのかもしれないと思った。

この世で生きていると、厄介な相手や厄介の状況というのはそれなりに(多々?)あるものだ。そういうときにどう対応するか。アーヤの振る舞い方は参考になり、ひとつのモデルになると思った。まわりを見渡しても、はちゃめちゃで元気あふれる人間が少ない世の中だ。映画を観る子どもたちにとって、アーヤのようなモデルは周りに少ないかもしれない。こういう生き方、振る舞い方、演じ方があるということを知るのは、時に困難で厄介な世を渡っていくうえで有意義なことだと思った。

日頃、どちらかといえば静かな暮らしを送っているので、ハラハラさせられるのには慣れていなくて、観終えた後でちょっと疲労感を覚えたが、観てよかった映画だった。本編前に紹介されるいろんな映画の予告編を観ていると、刺激的、暴力的な映画が多く、よくお金を払ってこんな映画を観に行く人がいるものだと思った。そういう映画に慣れている観客を相手にするには、ある程度の刺激も必要なのだろうか。それにしても、関係のない映画の予告編を見ずに観たい映画だけを観られるようにしてもらいたいものだ。映画開始時間を過ぎても数十分はうるさい予告編が続き、観たい映画が正確に何時に始まるかわからないのは困る。くだらない予告編を見せられて、肝心の観たい映画がようやく始まったときには既に疲れていた。平日の午前中だったのもあるだろうけれど、観客はぼくと相方の他に一人しかおらず、映画業界も大変そうだと思った。

アーヤは魔女の家に連れて行かれ、魔法の力でその家に閉じ込められてしまったので、厄介な相手と暮らしていかざるを得なかったが、人生においてはさっさと逃げ出してしまったほうがいい状況もたくさんあると思う。職場、家庭、学校、部活、サークル、友だち関係、なんらかの団体…どこからでも、本気で逃げ出そうと思えばそのうち逃げ出せるものだろう。逃げ出したあと、もっとわるい逃げ場所しか想像できなければ、それはまだ逃げるタイミングではないのかもしれないが、逃げ出したほうがいいと自分でわかりつつ逃げ出せずにいることもあるだろう。

「従順」「真面目」「正直」「謙虚」などは世間で評価されやすいかもしれないが、宮崎駿監督の言うように、「したたかさ」というのは今の時代を生きるうえで必要なことかもしれない。したたかに自分を守ることが、結局は他人のためになることもあり、社会のためになることもあるのではないかと思う。