気候変動と食糧問題

気候変動で食糧難にある可能性がある、という話を時々見聞きする。

気候変動によって、米や大豆の生産量が減少、といった記事も見かけた。気候変動と言われても、前まであまり自覚がなかったが、畑をはじめてから気候や天候に少しは敏感になり、気候変動の影響というのはこういうことか、というのを自分なりになんとなく感じることが増えた。

夏が暑すぎたり、梅雨じゃない時期に雨が降り続いたり、暑くなったり寒くなったりする時期がまちまちだったり、とにかく毎年、気候が安定しない。夏に雨が続きすぎてトマトやナスが育ちにくかったり、というのは今年も去年もそうで、うちだけではなく、産直のお店に行っても、品揃えが薄いように見えた。専業の農家として生計を立てていくのは本当に大変だと思う。

ビニールハウスやトンネルなどを使って作物が育つ環境を人工的にある程度コントロールすることは可能だが、それにも限界がある。不自然なことをすると、それなりの歪みも生じてきて、虫が発生したりカビが生じたりすれば、その対策に追われることになる。自然状態ではいろんなバランスを自然がとろうとするが、人工的な環境をつくると、人工的にバランスをとる作業も必要となってくる。自然状態で自分が望むものが自然に育てば楽だけど、そうでないときもあり、完全に自然任せ、というスタンスでいると、必要な食料を得続けていくのが難しい場合もあるだろう。うちも自給自足、とはいかない。無理のない程度、楽しめる程度でお米や野菜を育て、たくさん育った分は販売し、自分のところ育たない(育ちにくい、育てるのが大変な)ものは買わせていただく。

気候変動で食料問題がどうのといいながら、周りを見渡せば、活用されていない土地が山のようにある。草の管理が厄介なのでコンクリートで覆って特に活用していない土地や、草が生えて困るので除草剤を定期的にかけているだけの土地、誰も住まず、手もかけず、空き家、空き地になっている土地…。たくさんの食料を輸入しているが、こういう土地を本気で活用すれば、国内で必要な食料は十分に国内で自給できるのではないかと思う。そのための経済的システムや、ライフスタイルの変化が必要だとは思うが。土地を得て(借りて)、毎日食べて、ただ生きていくだけにお金がたくさんかかり、そのために働きに出て平日のほとんどの時間をお金稼ぎのために費やさなければいけない仕組みになっている世の中では、空き地で食べものを育てよう、ということにはなりにくいだろう。そんな時間もないし、買ったほうが早いしラクだし、育てて売っても割に合わない、ということになりやすい。個人レベルで余程工夫するか、そういうことをしやすい社会的システムをつくるか…とにかく、食べものを生み出してくれる土地はいくらでも余っているように見えるが、それは食料生産のためには使われず、お金が基準となって利用されているケースが多いように見える。うちの近所の農地も、どんどんコンクリートで埋め立てられ、建売の家が次々に新しく建てられている。その一方で、空き家は活用されずに放置されている。無駄が多いし、将来的なゴミがどんどん生産されている。今さえよければ、で世の中は回っている。その今はいつまで続くのか。

気候変動により、各地の気候が変われば、それに応じた種類の作物を育てていくことも必要なのではないかと思う。代表的で人気の野菜だからといって、たとえば、乾燥した環境が好きなトマトを雨が降り続く湿気の多い場所で大量に育てるのは無理があるだろう。自分で畑をやってみてわかってきたが、その土地の気候、天候、土などに合っていない種類の作物を育てるのは苦労が大きく、食糧生産という意味ではずいぶん効率がわるい。楽しむ分にはいいけれど…。小規模で販売するにしても、割に合わない。野菜の販売を始めて、それがますますわかってきた。農薬や肥料を使わず、手間暇かけて手作業で育てた野菜と、大規模農場で機械をガンガン使って大雑把に育てた野菜を同じような値段で販売するのは無理がある。どちらの野菜が人間の生命力を養ってくれるか、それは食べ比べてみればよくわかる。だけど、商売になりにくいことをあえてする人は少ない。人間の健康、元気、エネルギー、生きがいを生み出す商売をやりやすい土壌がもっと必要だと思う。個人で有機農業をして生計を立てていくのは大変そうに見える。食べる人の健康のために有機農業をしているのに、育てている自分が忙しすぎて食事はカップヌードル、という冗談のような話を聞いたことがある。育てている人が大変すぎて疲弊して、ストレスもたまってタバコを吸いながら無農薬野菜を育てているとか。野菜の値段がそもそも安すぎるように思う。特に「田舎」や「地方都市」では。東京から香川に引っ越してきたばかりの頃、オーガニックの野菜の値段が東京に比べて何分の1かの安さでびっくりした。これで農家さんはやっていけるのだろうかと思った。物価も比較的低く、生活費は東京ほどかからないことが多いだろうけど、それにしても、という価格である。だけど、ここでの暮らしに慣れてくると、この値段で違和感を感じないようになってくるのだから、慣れというのはおそろしいものだ。

お店の野菜コーナーをうろうろしていると、野菜の値段を見て、高いといって怒っている人を時々見かける。そういう人に、野菜を自分で育ててみてほしいと思う。食料問題の解決は、そういう足元、というか、自分の手先から始まるのではないかと思う。