食べものを恐れない

「食べものを恐れない」がここ数日のテーマ。

普段、お米と野菜と豆とナッツの定番料理で十分満足しているつもりだけど、出かけていろんな食べものを目にすると、ちょっと心が揺れてしまう。

お店に並ぶ菓子パン、和菓子、ドーナッツ、色とりどりのお惣菜…砂糖が入っていると歯茎が腫れたり、歯が痛くなったり、油がわるいとお腹がもたれたり、身体が重たくなったりするのはわかっている。だから実際に食べると、食べなければよかった、という結果になるのはわかりきっているのだけど、美味しそうないろいろな食べものの外見が目に入ってくると、どうも食欲がそそられてしまうので困ったものだ。

だから、外を出歩くときは、なるべく、美味しそうだけど食べられない食べものは目に入らないようにしていた。魚介類を食べるとお腹が重たくなったり頭が痒くなったりするので、魚コーナーには近寄らない。甘いものが並んでいるコーナーは薄目で通り過ぎる…。とはいえ、目に入ったものは、意識的、無意識的なところで、いつの間にか自分の心には入ってきてしまっているようだ。食べたいと思ったものを食べずに我慢していると、自分の中でなにかフラストレーションのようなものが蓄積していることが最近わかってきた。

というわけで、美味しそうな食べものを見てみぬフリをするのではなく、外を出歩くときはむしろ、美味しそうで自分が食べたいと思うものを積極的に探すという姿勢へと、大幅に舵を切った。そのほうが、外を出歩くのも楽しくなった。美味しそうで、材料も自分が納得できるもので、食べて体調に差し障りがないものは買って食べる(そういうものはごく限られているが…)。美味しそうだけど食べたら明らかに体調がわるくなりそうなものは、自分が食べたいということだけ確認して、あとは家でそれに似たものを自分の好きなようにつくる。今すぐにお店で見たものを買って食べられなくても、あとでもっと美味しくてもっと健康的で自分に合ったものをつくればいいと思っていると、お店で一見魅力を撒き散らしている色とりどりのいろんな食べものを恐れずに済む。

このところ、家でしょっちゅう、バナナと豆腐(サツマイモの時も)のケーキを朝からつくっている。オーブンは無いので、焼いたケーキではなく、寒天と葛粉で固める。アーユルヴェーダを勉強しはじめてから、体を冷やす食べものや「カパ」の傾向が強い食べものを控えていて、好物のバナナと豆腐をほとんど食べない期間が続いていた。そのリバウンドらしい。やっぱり、「健康によくないらしいから」、と頭で判断して食を抑制していると、フラストレーションが蓄積してくる。いつの間にか食べたくなくなった、というのならリバウンドしないが(ぼくの場合、お肉は完全にそうなり、お店で目に入っても何の魅力も感じなくなった)。

お店で甘いものを見かけて美味しそうだなと思って食べずに我慢しても、家でこの自家製ケーキを食べれば、そのフラストレーションは解消される。疲れていると、甘いものが食べたくなる。かつては砂糖菓子や甘い料理を食べすぎて体調を崩した。砂糖を食べるとすぐに症状が出るので、全く食べられなくなったが、ハチミツやアガベシロップ、米飴や果物の甘みは大丈夫。最近はノンシュガーの商品も増えてきたが、まだごく一部。甘いものが食べたいときは、家でつくるのが手っ取り早く、材料も厳選できる。畑仕事に追われているときなどは時間のかかる料理をする心の余裕が生まれにくいが、室内で過ごす時間が長い日などは、料理をするとちょっとした運動になって気分転換になるし、デスクワークとは違った頭を使うのでリフレッシュになる。完成して食べたらうれしいし、美味しいものを食べると気持ちも晴れる。

どうせ生きるなら、積極的な気持ちで生きていきたいものだ。一事が万事。出先で食べ物から逃げて歩く、というのはよくない。美味しそうなものを積極的に求めて、家で再現したりアレンジしたりして、積極的になにかをつくり出していく姿勢のほうが心が生き生きしてくるし、日々の楽しみが広がる。

自然食品店などに行くと、食べ物に恐れている人をよく見かける。難しい顔をして、ラベルの原材料表示を見ている。原材料表示を確認するのは大事だと思うけれど、これもあかん、あれもあかん、それもおそろしや…という感じで買い物をしているとつまらないし、恐怖や怒りや無力さが募ってくるものだ。恐怖が募りすぎて青い顔をして買い物をしている人も見かける。

先日、ショッピングモールの休憩席に座って有機甘栗をつまみながら、目の前のパン屋さんの様子を眺めていた。一時期はよくお世話になったパン屋さんだけど、今はもう食べられるものがなくなってしまった。そのパン屋さんでトレーを持ち、物色しているおじさんを見ながら、この人は多分、どれを食べたいかだけ考えながら選んでいるのだろうなぁと想像した。これには砂糖が入っているとか、乳製品が入っているのはアレルギーがあるのでダメとか、これはマーガリンを使ってそうだ、とか、いろいろ面倒なことを考えず、今自分が食べたいものを選んでいるように見えた。その様子を見て、そういえば自分もかつてはそうやって食べ物を選んでいたのを思い出し、それは懐かしい感覚だった。そういう買い物ができるのをちょっとうらやましくも思ったが、現実には、食べたいから食べる、という買い物をして食べていると、それが正しかったかどうかは、後々に自分の体が教えてくれるわけで、今さらそれに戻ろうとは思わないのだけど。

とにかく、何に対しても、「積極性」は大事、というのを心がけていきたいと思っている。