小豆から片付けへ


最近、朝食後は粉末緑茶がお決まりになっている。そこへ豆乳も少し加える。緑茶が飲みやすい温度になるのを待ちながら、窓辺で追熟させていた小豆に手を付けた。

豆を鞘から出していく。

こういう単純作業も気持ちいい。頭が休まる。頭もちょっとだけ使うけれど、手が考え、手が動く。瞑想にも似ているようで、ちょっと違う。瞑想は目を瞑るのがいい。ぼくは視覚を使いすぎている。

やり始めると、止まらなくなった。緑茶がいい温度になってからも、緑茶を時々すすりながら、小豆の作業を続けた。緑茶の片手間だったはずが、小豆作業が中心で、緑茶はその相棒になった。

手が止まらなくなった。朝の洗濯は完全に相方任せとなり、ぼくは小豆を多分1時間くらい剥き続けた。

豆を全部鞘から出したあとは、食用に向かない豆をはじく。カビの生えたのや、黒いのや、小さすぎてかたそうなのを。

窓辺の小豆を全部、きれいな豆だけにして、すっきりした。


朝から頭と体が片付けモードになり、散らかしたままのいろいろを片付けたくなってきた。

とりあえず乾燥させるために小さなザルに入れたあれこれがあちこちに置き去りになっていた。えんどう豆、インゲン豆、他にもいろんな豆、キュウリやカボチャの種。別のかごには、小さすぎて畑に返そうと思っていた里芋。畑仕事で使えそうな、小さな紙袋やビニール袋、植物染めで使う道具類、瓶の中で発酵させた何か…。

ぼくが片付けモードになっているのを見て、相方が味噌を入れていた大きな瓶を二つ持ってきてくれた。これも庭で洗う。蚊が何十匹も寄ってきて、腕があちこち膨れ上がったが、片付けのターボモードなのでそれほど気にならない。

あれこれ一気に片付けたら、すっきりした。いったん片付けモードに入ると、視界に入るものすべて、片付けモードの目でチェックしてしまう。片付けるべきもの、片付けたいものはまだまだ残っている。普段は片付けに向かう腰が重いのに、ひとたび片付けモードに入ると、片付けの鬼のようになる。ディーゼルエンジンだと相方は言う。自分の動力源がディーゼルエンジンだと自覚しておくと、自分の扱い方がわかってくる。やるときは、一気にやる。ただし、体力に自信があるほうではないので、やり過ぎるとあとから疲れがでるのは経験的にわかっている。切り上げどきが大事。疲れが残らない程度、楽しい程度、面白くできる程度で何事も切り上げる。

昼下がりからは、デスクワークモード。ということで、デカフェのコーヒーを飲みながら、パソコンに向かっている。