MONOCULTURE


田植えをしていると、monocultureという単語が頭に浮かんできた。

単一栽培…同じ種類の作物ばかり同じ場所で育てること。うちの田んぼでは、田んぼは半分弱くらいに稲を植えていて、残りの場所では、ナス、ミニトマト、インゲン、ゴーヤ、つるむらさき、ひまわり、ズッキーニ、レタス、キャベツ、春菊、バジル、カボチャ、ヘチマなど、いろいろ育っている。

「連作障害」という言葉がある。同じ種類の作物を連続して育てていると、病気になったり育ちがわるくなったり、うまく育たなくなることをそう呼ぶ。同じ種類の作物ばかり育てていると、その作物が必要とする同じ栄養分ばかり土から吸収され、その作物が土に及ぼす影響に関しても同じことが繰り返され、土から多様性が失われるのだろう。連作「障害」なんていう言葉を誰が考えたのか知らないけれど、「障害」といっても、人間の勝手で招いたものである。

Black Lives Matterという言葉も続いて浮かんできた。今の時代になって、まだこのような言葉を訴える必要があるということに辟易するが、人類の(社会の)変化のスピードというものはそのくらいのものなのかもしれない。

何か(誰か)を排除せずにお互いのよさを生かし合い、調和し合って存在していくにはどうすればいいのか。お互いに関する正しい理解、想像力、共感、思いやり、寛容…いい古されたあらゆる言葉を並べるのは簡単だけど、実践するとなると、自分の本当の実力が試される。

多様性をないがしろにすると、たいてい、ろくなことにならない。畑で同じ野菜ばかりつくると病気や虫の出番が増えるし、人間のチームから例えばちょっと不真面目なメンバーを排除して生真面目なメンバーばかり残しても面白みやアイデアに乏しくなりがち。

多様性を排除しようとする人間は、自分自身に対する自信に欠けている場合が多いように思う。だから、そういう人間に対して誰かが説教したところでうまくいかないことが多いのだろう。かといって、排他的になっても他人からの愛は得られないということをさまざまな方法で示していくことは必要だろうと思う。誰もが自分のもち味を生かし、安心して、なおかつ他人と争わずお互いの人生に彩りを与えながら生きていける世の中を実現することは不可能ではないと思うけれど、焦ってもろくなことがない。焦ってもろくなことがないのは、田植えと似ている。


【関連記事】

by 硲 允(about me)