宗教嫌いの戯言


宗教とは何か?

相方と宗教がどうのこうのと話をしていた後、畑で野菜の苗を植えながら、思った。友だちが言ってること以上に信じるようなものは全部宗教だろう、と。あの人はああ言ってた、あいつはこんなこと言ってた…いろんなことを考え、発言する人がいるもので、それらをいろいろ聞いて、自分の頭で考えて、その時々でとりあえずの結論らしきものを出すわけだけど、友だちの場合、あいつの言うことは全部正しいし、あいつがそう言ってたららしいからオレはそれを断固信じるのだ、ということにはなりにくい。ところが、どこかのえらいさんが言った言葉だからといって、ありがたがってすぐに信じて取り入れる、というのが宗教だろう。それはえらいさん、宗教家に限らず、好きなアーティストかもしれないし、何かの師匠かもしれないし、たまたま手にとった本の著者かもしれない。

宗教が人間にとって救いになることもある、というのは事実だと思う。この人生における希望が完全に失われた人間にとって、生まれ変わり、輪廻転生や、天国の存在といった概念は、この世での人生に失望した人間に希望を与え得る。

とはいえ、宗教は表面的、一時的な症状を抑えるクスリのようなものだろうと、またまたひんしゅくを買いそうなことを思いついた。どうしても必要なときは使用するのもやむを得ないけれど、だんだんとクスリ断ちして独り立ちできたほうがいいのではないかと思う。だらだらと使用を続けていると、それ無しでは心細くなってきたり、時々やめると禁断症状がでたり、あるいは、副作用の心配もある。

大勢の信者から崇拝されて平気でいるような宗教指導者は、どうしても胡散くさく見える。多くの尊敬を集めるような人間は、それなりに精神的修行を積んで、人間的に高まっているのかもしれないが、「自分の言うことを鵜呑みにするな」「自分で考えろ」「自分の好きなようにしろ」「他の人の言うことも聴け」と言わず、もっともらしく、正しげな言葉を放って指導的立場に居続ける人間を盲信することの弊害は大きいと思う。


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by 硲 允(about me)