有名と無名


「無名の選手」、「無名の画家」、「無名の一般庶民」、「無名の若者」などという表現を見聞きするたびに違和感を覚える。

「有名」の対義語として「無名」という言葉を使っているのだろうけれど、そんな「無名」の誰かにもちゃんとれっきとした名前があるのであって、「無名」という言葉は誰に対して使う場合でも失礼だと思う。

「有名」か、いわゆる「無名」かでいうと、「有名」のほうが優れているというニュアンスが世間ではありそうだけど、「有名」だからといって、必ずしも優れているわけでも上等なわけでも格が高いわけでもない。ただ、多くの人に知られている、というだけのことである。犯罪を犯しても有名になれるし、多くの人が注目する賞を受賞しても有名になれるし、手っ取り早いのは、テレビにたくさん出れば有名になれる。

有名だといっても、顔と名前となんとなくのイメージしか認識されていないことも多いだろう。テレビに出ているような「有名人」を思い浮かべてみても、顔と名前と、テレビでの振る舞いや発言から得られるなんとなくのイメージしか知らない場合が多い。顔と名前だけ多くの人に知られたところで厄介なだけだろうし、その有名さをビジネスに利用しようとしてくる者もでてきて、人付き合いも面倒なことが増えるだろう。有名であることは、幸せの必要条件でもなければ、有名度と幸福度は比例しないものだと思うことがよくある。

「無名」というと、ちょっと馬鹿にしたようなニュアンスを感じるが、いわゆる「無名」にして立派で美しい人生を生きている人が数多くいるし、「有名」でも顔をそむけなくなるような生き方をしている人も数多く存在する。


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by 硲 允(about me)