ボロ着

畑の作業パンツ。これはぼくが縫い物を始める前、相方がつくってくれたもので、もう5年以上は履いているだろうか。さすがにもうありがとうしたら?(お役御免でボロ布にするということ)と言われたが、縫い物をやってみて、手縫いの大変さを知ったので、なおさらお役御免にしはしにくい。

あて布が増えていく。不思議なことに、新たにあて布を縫い付けると、ボロボロのズボンに新しさを感じるようになる。すり減ってボロボロには違いないが、デザイン的な新しさは、履いて新鮮な気分にさせてくれる。

博物館で展示されているような大昔のボロ着が美しく見えることがある(自分でボロ着を繕ったり着たりしているうちに見え方がちょっと違ってきたけど)。全面があて布で覆われているようなのもある。布が貴重な時代でないと、あそこまではさすがに真似できないなぁと思うけど、あて布だらけになっていく楽しさも多少あったのではないかと想像する(それよりも大変さが上回っただろうけど)。あて布の数は、作業の歴史をものがたっている。かといって、あて布の数が増えていくのを喜んでいると、いつまでも永遠にボロ着を着続けることになる。全体的にすり減ってきた衣服は、すぐにまた違うところに穴があくので、あて布をあてる手間や時間もかかる。ボロ着を育てるのも面白いけど、作業着でそのまま近所のスーパーに行けるくらいのボロさを通り越したら代替えにしようと思っている(と思いつつ、結局お尻が破れたようなズボンで出かけてしまうんだけど)。