暮らしの断片

暮らしの断片のようなものを書くのも読むのも好きなようだ。

まとまりのある長いものを書こうとすると疲れるし、やる気が持続しないことが多い。長くても1時間以内で書けるようなものを書くのが好きらしい。長いものを書くのも、時々はいいけれど。長いものは読むのも疲れる。20代の頃は、長いものを読むのも好きだったけど、最近は、他人の世界に長時間浸ることを控えている。他人から影響を受けすぎるのをおそれているのもある。まずは自分の世界をある程度確立する必要があるのを感じている。そのためには、他人の世界を見せていただくことも必要で、それもありがたいことなのだけど、参考に、と思って他人の世界に立ち入ると、なかなか抜け出せなくなったり、他人の世界を自分の世界だと勘違いしてしまうこともあるので注意が必要だと思っている。

暮らしの断片、というと、SNSに投稿されたようなものもそういう類のものに一見、見えるかもしれないが、SNSで一般的に表現されているようなものから、暮らしの中の正直な実感というようなものはあまり見えてこない。SNSで見たものと、会って話してみて感じたものと、だいぶ差があることが多い。SNSは、大勢の他人の目が気になりすぎる。それぞれのSNSの雰囲気にいつの間にか合わせたり、いつも反応してくれる人のことを念頭において投稿したり、イイネを気にしたり、いろいろ煩わされる。ブログ時代のほうがよかったなぁ、と思うことがあるけど、今はそういう時代なのだろう。パソコンに向かってブログの文章を打つ時間をとれないくらい忙しい人が増えているのか、そもそもSNSで時間を奪われているのか、SNSのタイムラインを見るほうがラクでちょっとした気晴らしになる感じがするのでそっちに流れていくのか、ブログはあまり反応が得られないがSNSはすぐに反応があって面白いのか…とにかく、SNSのほうがとっつきやすく、中毒性がありそうだ。この中毒性というのが厄介で、暮らしの断片を表現するどころか、暮らしを奪われかねない、と言うとおおげさだろうか。

SNSを日常的に使っていると、頭がSNS頭になってくる。これは写真に撮って投稿しようとか、しょっちゅう思うようになったらSNS頭かもしれない。そういうぼくはブログ頭かもしれない。ブログに書きたいことが浮かんだら、いつも手元に置いているノートにすぐメモするようにしている。ブログ頭は、SNS頭ほどそわそわしないのがいい。他人の目や反応もあまり気にならない。そういえば最近、インスタの他人の投稿からlikeの数の表示が消えていた。これはいい傾向だと思った。イイネの数を気にしながら生きるのはつまらない。自分がイイネと思っていたらそれでいいんちがうかと思うけど、他人のことは気になるものだ。他人のことが全く気にならないのも問題ありかもしれないが、気になり過ぎはもっと大変に違いない。自分で自分にイイネと思える厚かましさのようなものも必要だ。