不摂生と料理

不健康そうな人は、不健康そうなものを食べている。お店に行くと、他人が買っているものが目に入る。具合のわるそうな人が、不健康そうなお菓子や元気が出そうにない弁当などを買っているのを見るとちょっと気の毒になる。元気がでそうにないお惣菜だって、それなりの値段がする。食材を買って自分で料理したらいいのに、と余計なことを思ってしまう。

そういう自分も、かつては同じような状態だった。仕事人間でスキルアップのことしか考えてなかった。料理する時間は無駄だと思っていた。というか、料理するという選択肢が自分の中になかった。出かけていることが多く、外食ばかりだった。それが問題だとも思っていなかった。牛丼にハンバーガー、焼き肉弁当、ワンコインの焼き肉定食…肉が好きで、野菜は付け合わせ程度の少しだけ…よくあんな食生活で生きていたなぁと今振り返ると思うけど、おかしな病気ばかりしていたので、体は確実に悲鳴をあげていた。

なんで料理せんかったんやろ、と相方と話していて思い出したけど、料理というのは難しくて面倒なものだと思っていた。レシピを見たり、食材を揃えたり、準備や後片付けが大変だったり、買い物に行かないといけなかったり。それに、肉や魚がメインの食が当たり前だったので、野菜料理よりもいろいろ大変。手をゴシゴシ洗わないといけなかったり、食器も油汚れを落とすのが面倒だし、トレイを洗って捨てるのも面倒で、ゴミをためると家の中が臭くなったりもする。肉や野菜は買ってきたら冷蔵庫で冷やしておかないといけないし、賞味期限を気にして計画的に早く食べきらないといけない。これではたしかに、いそがしいと料理のやる気がでてこないのもわかる。

肉や魚をやめてから、料理がずいぶん楽になった。冷蔵庫は必要なくて使っていないし、食材を腐らせてしまうようなことはむしろ滅多にないようになった。冷蔵庫に入れておくと油断するし、何を入れたのか忘れてしまう。野菜はかごに入れておいて一覧できるようにし、早く食べたほうがよさそうなものから食べていく。油は、野菜を火にかけるときにオリーブオイルやひまわり油やごま油を少したらす程度なので、食器を洗うのに洗剤は基本的に必要ないし、後片付けも楽。野菜の食べられない部分は、琺瑯のバケツに入れておき、たまってきたら庭のコンポストボックスに入れるだけでOK(これが分解して、畑の堆肥になる)。お米さえ炊いておけば、食べたいと思ってから5分くらいで食事を開始できる。たまには手間のかかる料理をつくりたくなるけど、普段は季節の野菜のエチュベかスープで大満足。この食生活になって病気をしなくなり、もう何年も病院の世話になっていない(歯医者以外。歯医者も最近は定期検診とクリーニングのみ)。肉や魚を食べなくて大丈夫なのかと心配されることもあるけど、体は軽快になってきて、あちこちの不調がだんだん減っていった。

肉や魚を食べるにしても、自炊したほうが健康にいいものをお金もあまりかけずにつくれるのではないかと思う。香川に来て、新鮮な魚が安くてびっくりした。大きな鯛一匹、この値段!?という感じで、ちょっとかわった魚はやけに安かったりする。イシモチという魚は香川に来て初めて食べた。エラの辺りだったかな、名前の通り、石のようなものがあって食べるとガリっとなってびっくりした。地元でつくられた野菜も気の毒なほど安い。キャベツとかなんでもOKだけど季節の野菜をざくざく切って、フライパンにオリーブオイルをひいて下に野菜を敷き詰め、その上に魚をのっけて塩をまぶしてフタをしてグリルして、火が通ったら醤油をかければ、立派なおかずが完成。エネルギーの少なそうな惣菜をいくつか買うのと同じ値段でつくれるのではないかと思う。

食をないがしろにし、料理を面倒がったり料理の時間を無駄に思ったりして、てきとうにお腹を満たしてやり過ごしていると、そのツケが後からまわってくる。ぼくも不摂生をしていた頃のダメージがまだ完全には癒えていない感じがする。年月をかけて失ったものは、取り戻すのにそれなりの年月がかかる。このままではよくない、と思ったら、何事も早めの方向転換が大事!