ブログの印象と実物

会った印象と、ブログの印象とけっこう違う、というようなことを、先日言われる機会があった。

これについては、どうなんやろな、と時々思うことがある。ブログ読んでます、と言ってくれる方と会う機会が最近増えてきた。ブログで読んだぼくの印象と、実際に会ったときの印象、違いますか?というのはちょっと気になるけど、そんな質問はしたことがない。

あまり違いすぎるのはイヤだなぁと思っている。多少違っても構わないと思ってるけど。ちょっと読んだだけだと、一致しにくいかとも思う。違うという印象を持たれた方には、何百個も記事を読んでくれたら一致してくるかも…とお話した。そんなに読んでもらうのは大変だけど。

それにしても、書いてはマズいと思うこと以外、結構、なんでもかんでも書いてしまっている。たくさん読んでくれている方は、ぼくと会って話をしたことがなくても、ある程度の親近感を感じてくれているように思うことが多い。いいのか、わるいのか。親近感といっても、文になっている自分への親近感で、会って話してみると違うやんか!となるかもしれない。そういう失望感を味わってもらうのはちょっと避けたいなぁ、というのはあるけど、それはこちらではコントロールしきれないところではある。話し言葉と書き言葉をもっと一致させれば会ったときの印象ももっと一致してくるかもしれないけど、話し言葉では書きにくいことを書くこともあるので、そこは無理やり一致させたくない。

文章にするとキツく感じるかも、という話にもなった。それはそう思う。話すときよりも、言い切ってしまうことが多い。話すときは、ある程度、相手の様子を見ながら話す。思っていないことを言ったり、感じていないことを感じたようなふりはしないように心がけてはいるけど。相手の気分をわるくしたくない、というのは強いほうだと思う。面と向かった相手に何か主張したくなることもあまりない。ブログを書くときも、何か主張したい、自分の考えや気持ちを聞いて(読んで)ほしい、という気持ちはあまり大きくないように思う。自分のなかで整理しながら、自分がおもしろく書ければそれでいいや、というスタンスを心がけている。そうやって書いていくと、時々自己主張が強そうな文章も生まれてくる。これは相手によっては、何か否定されたような気持ちになるかもしれない、と思っても、批判的な言論はそれなりに必要だと思っているので、アップすることになる。目の前にした特定の相手の場合、相手がネガティブな気持ちになりそうなことを伝えるべきだと思ったとき、相手に合わせてそれなりに工夫するけど、不特定多数が相手のブログの場合、そういうのは難しいしいやらしくなるし、ある程度の配慮をしつつ、言い切ってしまったほうがお互い気持ちいいのではないかと思っている。ブログは、読むのも読まないのも相手の自由、というのも大きい。記事をいくつか読んでもらって性に合わないと思ったら、見に来なければいいだけ、ということで済む。といっても、記事によって、書くほうも気分や状態のブレがあるし、読んでくれる方も読みたいものの好みがあるだろうから、いつもぴったり、というわけにはいかないだろうけど、いつもぴったりだと、そもそも読む必要もあまりないのかもしれない。いろんな書き方を試みてきたけど、今のところの結論は、ある程度の配慮はしつつ、とにかく自分が自由に好き勝手に楽しく面白く書けることを書いていくのが一番、ということにしている。