by iadoreapplehead (We Are The World) |
田中優さん(「一般社団法人 天然住宅」共同代表、「ap bank」監事など)のこの本を読み始めました。
戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方―エコとピースのオルタナティブ(田中優)
最初のほう(p. 14)に、こんな話があります。
「国の代表が悪いなら国民も悪い」とするなら、アフリカにもアメリカにもヨーロッパにも日本にも、助けるに値する人間などいなくなってしまうだろう。
フセイン大統領は、もともと国の指導者としてはろくでもない人物だった、という文脈での話です。国の代表がろくでもない人物でも、その国には罪のない善良な人間がたくさんいるわけです。
田中優さんは日本国際ボランティアセンター(JVC)に関わっていて、「国家と被害を受ける人々とを切り離して考える」というのがJVCの考え方、とのこと。
だからJVCは、将来の国際社会は国と国との関係ではなく、市民と市民の交流に基づいたものになるべきだと考えている。
このくだりを読んで、なんだか気持ちが晴れ晴れとしました。
国を超えて市民同士が仲良くしている世界を想像すると、楽しくなってきます。
もちろん、同じ国の人間同士と同じく、国境を越えても馬が合う人間はそのなかで少数かもしれませんが、それでもいいと思います。「あの国のあの人はちょっと苦手で腹の立つことも多いけど、でもあの人は好き」という人が一人でもいれば、その国自体を嫌いになることはないでしょう。
「あの国は嫌いだ」と簡単に言ってしまう人もいますが、その国に実際に知り合った人は何人いるでしょうか? 40人と知り合えば、たいてい一人くらい、仲良くなれる人がいるものです。学校の40人学級で、何人かは苦手な人がいて、表面的なつきあいしかできない人が半数以上いて、だけど、ある程度気持ちを開いて付き合える友だちが数人できるのと同じことでしょう。
小学校、中学校、高校で友だちができ、その友だちが職場や大学などへ散り散りになったとします。その職場や大学のトップがろくでもない人間だからといって、その職場や大学の敷地内に爆弾を落とすことに賛成する人はいるでしょうか?
国と国との関係も同じことでしょう。国を越えた本当の友だちが増えれば、世界はもっと平和になるはず。
ぼくは外国語を専門にする大学に通っていたので、いろんな国からやってきた留学生と交流する機会がありました。その後、英語やいろんな言語のリサーチの仕事をしていたことがあるので、タイ、インドネシア、ロシア、ウクライナ、インドなど、いろんな国から来た人たちと接することがあり、一人知り合いがいるだけで、その国のことが身近に感じられるものです。
子どもや学生の頃から、世界各地の人たちと交流し、大人になる頃にはみんなどの国にも一人くらいは友だちがいる、というふうにできたらいいのになぁと思います。