道具や技術は、使い方次第で「善」にも「悪」にもなる

映画『広河隆一 人間の戦場』(長谷川三郎監督)を高松のホール・ソレイユという映画館で観たあと、小腹が空いたので相方と一緒に「大山牧場 うしおじさん」に入って、映画の感想を話しながらパンとホットミルクでおやつにしました。



窓際の席に座り、何気なく外を見ていたら、若い男の人が、店の入口の前辺りでスマホで動画を撮りながら、同じ場所でゆっくりと360度回転していました。
ガラス張りの店内も映像に映りそうな感じだったので、ぼくは柱の影に顔を隠し、相方にも気をつけるように言ったつもりが言い方がわるくてカメラの方を向かせてしまいました…。通行人も至近距離で映されて迷惑そうにしていました。

広河隆一さんが幸せで健康に暮らす人間の権利を守りたいという想いでカメラやビデオを持っている姿を映画で観てきたばかりだったので、それと重なり、「道具は使いようやなぁ」と相方に話しました。

知っていますか?脱原発一問一答 」(天笠 啓祐)という本を読んでいたら、同じような話がでてきました。




太陽光発電や風力発電が量産体制に入り、原発事故後、その建設が加速していますが、自然エネルギーの利用にしても、巨大化すれば「負」に転じるというくだりがありました。


太陽光発電システムには希少金属が必要で、その採掘現場では環境破壊が進んでいるとのこと。また、大規模につくられた発電機が寿命に達すると、巨大な電子ゴミが発生してしまいます。原子力発電などに比べれば比較的「クリーン」なエネルギーとはいえ、やはり「節度」が必要です。

バイオ燃料にしても、廃油を用いてバイオディーゼルをつくり、地域で利用しているときは「良い技術」だったけれど、畑で大規模につくった作物を利用しはじめたとたん、食糧価格の高騰を招き、飢餓を促進するなど、「悪い技術」になったと書かれています。

道具にしろ、技術にしろ、大事なのは何のためにどう使うか。

相方は、「道具に使われるな」と親に言われて育ったそうです。道具や技術を使って、結局はそのために人間が怠惰になったり、不幸になったり、不健康になったりしたら、それは「道具に使われている」ことになります。道具や技術との付き合い方は、身近なところからよく考えていかなければ、と思います。