子どもたちが用意した竹の薪で味噌汁を炊く |
ぼくは小さい頃から和歌山市の街中で育ちました。
子どもの頃、外で遊ぶといっても、ヘドロで汚れたどぶ沿いを探検したり、高いところから飛び降りたり、廃墟へ忍び込んだり・・・どちらかというと都会的な遊びでした。
香川に移住してから、東京にいた頃に比べて、子どもたちと交流する機会が増えました。森林を手入れするNPOに参加していて、子ども向けのイベントもあります。薪割りしたり、焚き火したり、キノコの植菌をしたり、野鳥観察したり。野外で自然と触れ合う場所や機会があり、ぼくも子どもの頃にこういう遊びができたらよかったなぁと思うことがあります。
先日は、友人宅へ子どもたちと親が集まるイベントがあり、親が室内で安全な学校給食に関する話し合いをしている間、子どもたちは外で遊び、竹林を冒険したり、竹で食器をつくったり、自由に動き回っていました。ルールが決まったゲームなどとは違い、何をしても自由なので、魚の図鑑を持って川へ行く子どもがいれば、竹で黙々と木琴のような楽器をつくる子どももいれば、お皿やコップや弁当箱など、次々にいろんな食器を作りたがる子どももいます。同じ団体でアイススケート場に行ったこともありますが、子どもたちは外で自由に遊んだ方が生き生きとして輝いているように見えました。
都会に住んでいても、ちょっと出掛ければ、自然の中で遊べる場所は結構あるのではないかと思います。テレビを2時間見ている暇があれば、かなり遠くまで行けます。海でも川でも山でも。
問題は、大人が自然の中での遊び方を知っているかどうか。ぼくは香川に来てから、山には少し親しんできましたが、海や川は完全な初心者です。自然の中での遊びには、危険も伴います。リスクをゼロにすることは不可能ですが、大人には子どもの安全を守る役割があります。先日、竹を伐っているときに子どもにケガをさせてしまい、そのことを痛感しました。
子どもはケガをしても、疲れ果てるまで野山を駆け巡っていました。大人も子どもも、自然の中にいると輝きます。子どもが自然の中で遊ぶ姿は、大人にいろんなことを教えてくれます。