人間の能力は使わないと衰えるが、使えば今からでも鍛えられる


先日、天才たちの習慣、といったようなタイトルの本をちらっと立ち読みして、将棋棋士の羽生善治さんが初めて行く場所に地図を見ないでたどり着くことを自分に課している(常にかどうかはわかりませんが)という話が印象に残りました。

道筋が不明瞭なときの直感力を養うためで、人間は、能力を使わないでいると、その能力が衰えてしまう、というような解説が添えられていました。

それはたしかに、痛感するところです。

活字でばかり文字を書いていると漢字が書けなくなるし、車に頼っていると久しぶりに乗る自転車のペダルが重たくなるし、久しぶりに難しい本を読むと読むスピードが落ちているし、久しぶりに大勢が集まるところへ行くとみょうに疲れたり…。

誰のことなのかわかりませんが、予定をメモしなくても全部覚えている人に手帳をあげたところ、その人は予定を全然覚えられなくなった、というエピソードも思い出しました。

コンピュータや機械が発達し、身近なものになり、便利にはなりましたが、モノに頼って自分の頭や身体を怠けさせていくと、いろんな能力が退化していくリスクもあります。

Google検索は便利で、年に何百回、何千回と検索していると思いますが、これも使いようによっては、自分の頭で考える機会を奪われることになるでしょう。時々、会話をしているときに知らないことがでてくると何でもすぐにスマホで検索する人を見かけて心配になることがあります。しかもたいてい、知っても知らなくてもいいようなことで、それよりも自分で考えたり推測したり想像したりすることのほうが余程大事だろうと思います。ぼくもずいぶんGoogle頼りで、忘れても調べたら済むことだと意識的、無意識的に思っているところが大きいので、記憶力を怠けさせたり、自分でよく考える前にGoogleで調べて安直に答えを見つけて満足しがちなので、気をつけなければと思います。

最近は、なるべく記憶を自分の頭以外の外部に頼らないように心がけています。手帳やノートに何かをメモするときも、必要なときにあとで見たらいいや、と思っていると記憶に残りませんが、メモは補助的なもので、自分の頭で記憶して必要なときに取り出すんだ、と思っていると、記憶のされ方がずいぶん違ってきます。先日、とある場所へ行くために住所を控えていて、そこへは数年に1度行く程度なので住所を記憶していく必要性は低いのですが頭の訓練のために記憶しようとがんばったところ、後日、そのメモがないときに行く必要が生じ、なんとか思い出すことができて助かったことがありました。頭で記憶していれば、紙やインクが無駄にならないし、メモを取り出して開く時間を節約できるし、頭の中の他の情報とつながっていきやすくなるし、いいこと尽くし。といっても、何もかも記憶しようとして毎日を過ごしていると、頭が疲労しすぎて、一度知恵熱を出したこともあるので、やりすぎは要注意…。何をどの程度記憶したいかを考えて判断しつつ、少しずつ記憶力を高め、記憶の置き場所も拡大していくことが必要なようです。


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by 硲 允(about me)