学校内グループと集団行動

学校内グループというのがある。クラスや学内での(一見?)仲良しグループ。ぼくはグループで行動するのが苦手なので、こういうは厄介だ。たいてい、男子グループよりも女子グループのほうが面倒で厄介なようだ。性別関係なく入り混じったグループというのもあるが、少数派のようだ。学校ではとにかく、目立つと厄介なことになりやすい。一見女子なのに、男子グループに混ざっていたりすると、とやかく思ったり言い出したりする人がたいていいるのだろう。

聞いた話によると、女子は決まって二人組をつくっていたというケースもあるらしい。教室を移動するときも、トイレに行くときまで、なぜか二人組。謎の風習(?)である。グループのつくり方は、学校や学年にもよるのだろう。先輩を見倣って、代々受け継がれていくのだろうか?

ぼくは学校では気の合う一人か二人といることが多かった。放課後や休みの日に、数人で遊んでいることはあった。気の合う人と、お互い気の向くときだけ一緒にいる、というのが一番自然で無理がないと思うけど、そういうシンプルにはいかないらしい。人が集まるとなにかと厄介だ。

通っていた中学、高校はお弁当だった。お弁当の時間は、決まった席で食べるのではなく、どこで誰と食べても自由だった。決まった相手一人と食べる時期もあった。そのクラスメートが欠席だったとき、どうしようかと昼前から悶々と悩んでいたことを思い出した。結局、一人でおもむろに食べ始めようとしていたら、別のグループの誰かが誘ってくれたような記憶がある。「一人で食べるとか、寂しいやろ!」。人間は案外やさしいものである。

集団行動は、得意な人もいれば、苦手な人もいる。集団行動が得意というか好きな人は、学校でも悩みが少ないかもしれない。苦手な人からしてみれば、厄介な場所である。それはそれぞれ、タイプの問題かもしれないが、集団行動が好きではない人からすれば、毎日、学校に通っているうちに、自分はダメなやつなように思えてくるかもしれない。学校を卒業したあとは、個人行動が好きなら徹底してそういう生き方を選んでいくこともできるが、学校というのはひたすら集団行動を強いられる。今日も近所の運動会の声が聞こえてきた。紅組、白組…集団で競わされている。何年生は、先生の指示に従ってください、とかいうアナウンスが聞こえてくる。生徒が先生の指示に従わされる、という構造がそもそもおかしい、というか古くさい、というか間違っているのではないかと思う。年齢も立場も関係なく、もっとフラットな関係がいい。若い頃から、先生に従わされ、先輩の言うことを聞いているうちに、そういう上下関係が当たり前に思えてくるのがおそろしい。従わされ、言うことを聞かされているうちに、今度は自分が上の立場に立ちたくなってくる。年功序列の世界では、それも時間の問題だ。そんな連鎖が続いていく。くだらない、つまらない、生き苦しい。

ぼくは集団行動が苦手、というか嫌いだということが、この頃よくわかってきた。自分がやりたくないことまでさせられるのは勘弁。気の向かないときに気の向かないことをしたくない。そういのはわがままで身勝手だと思わされているのが、集団が当たり前の社会。やりたくないことをさせられている人は、他人にも同じことをさせようとする傾向があるように見える。結局、みんな損しているように見える。自分が望むことだけをして、他人には相手は望まないことを一切させない。それを全員が徹底すれば、全員がもっと生きやすくなるように思うのだけど、世の中、そうシンプルにはいかないらしい。誰もやりたくないことを誰かがしないと社会は成り立たない、と言う人もいるだろう。そうやろかね。案外、人それぞれ、やりたいこと、好きなこと、望むことは違っている。目立つのが好きな人もいれば、影で支えるほうが力を発揮できる人もいる。力仕事が向いている人もいれば、黙々と細かい作業をするのが好きな人もいる。自分の技術を高めることに一心不乱になりたい人もいれば、困っている人を助けて喜ばれたい人もいる。みんな違っているのに、ロボットのようにみんな一斉に同じ行動をさせられる集団に閉じ込められているうちに、自分というものがわからなくなってしまう。

学校が不要とまでは思わないが、学校のあり方を根本から見直す必要があるように思う。保育所や幼稚園に行くと、まだそれなりに楽しそうにしている人が多いが、小学校高学年くらいになると、たいてい、つまらなさそうになってくる。その様子を見ただけで、学校というものが失敗しているように思うのだけど、人間というのはそういうものだ、それが人間の成長過程だと、いつの間にか多くの人が思っているのかもしれない。思春期、とか、反抗期、とかで片付けてしまうのだろう。反抗しているうちはまだいいけど、そのうち、反抗する気力もなくなってくる。

それほど楽しくない学校に何年も通い、あげくのはてに、それほどやりがいを感じない仕事を毎日して年老いていく、というのが先進国と呼ばれる世界の人間の生き方のスタンダード、というのはどういうことだろう。人類は何年生きてきて、何を学んできたのだろう。世界を変えるのは難しい。まずは自分から、自分が望まない世界からなるべく早く抜け出して、なるべく自由に生きられるよう、ちょっとずつでも手を打っていくとしよう。