「頑張って」

気楽、というのはいいものだ。世の中、頑張ることばかり大事にされすぎてはいないか? 頑張っている人は褒められやすいが、気楽にしている人はあまり褒められないものだ。褒められるのが大事なわけではないが、人は褒められるとやっぱりうれしいもので、褒められる方向に向いやすい。

「頑張れ、頑張れ」ばかりでは息苦しいし、生き苦しい。Take it easy.という英語の表現が思い浮かんだ。日本語で「頑張ってね」という掛け声はよく耳にするが、「気楽にね」というのはあまり(ほとんど)聞かない。「頑張りすぎないでね」というのもあまり聞かない。「気楽に行こうよ」「気楽にね」と言われたら、ちょっと肩の力が抜ける感じがする。

大学生の頃、通訳のアルバイトで香港の映画祭に行ったとき、あるブースの若い女性らしき人が、応対した相手全員に、別れ際に「Take care!」と声を掛けていた。それが妙に印象に残った。心がこもっていて、ポジティブな響きだった。こういう別れ際の挨拶、なんだかいいなぁと思った。

もう充分、頑張りすぎている相手に「頑張ってね」と言うのはよくない、という話を時々見聞きする。「頑張って」という言葉は、「お早う」などと同じで、語源的な意味が薄れていっているところもあるのだろう。遅寝してきた相手でも、午前中に会ったら「お早う」というのと同じで、何かに取り組んでいる相手に対して、もっと努力したほうがいい、という意味合いではなく、相手の成功を願っていることを示す言葉として「頑張ってね」しか出てこない場合もあるだろう。だけど、すでに頑張りすぎている人は、「頑張ってね」の言葉が苦しく感じる、というのはわかる気がする。

頑張ってなさすぎる相手に対しては「頑張って」の言葉が必要かもしれないが、相手の状態を見極めることは必要だろうと思う。

「頑張って」の前にひと呼吸

何かの標語のようだ。

「頑張って」 余計なお世話 もう頑張ってる

これもいいかもしれない。

「頑張って」 「ありがとよ お前もな」

こう言える人は、元気な人だ。

ぼくは「頑張って」と言われて苦しくなるほど、今のところ無理して頑張ってはいない。頑張りすぎるとすぐにガタがきて、ペースダウンする。頑張りすぎるまでに身体が悲鳴を上げる。ギターを頑張りすぎて指を痛め、絵を描きすぎて別の指を痛め、縫い物をしすぎて目を痛め、織物をし過ぎて腰を痛めた。頑張りすぎる傾向がありそうだ。できることなら、何事も、頑張りすぎず、怠けすぎず、心地よいくらいのちょうどいいマイペースでいきたい。