学生の勉強場所問題

学生にとって、勉強場所は重要問題だ。

勉強場所、というか、自習場所。自分の家で集中できる環境があればいいけど、そうでない場合も多いと思う。ぼくは高校生の頃、放課後になると、友だちと自転車で学校を出て、自宅とは反対方向に自転車を20~30分こいで、県民交流プラザの中の誰でも入れる図書室のような場所に通って夜まで勉強していた。よくお腹が減らなかったなぁ、と思ったけど、そういえば、途中で安いうどん屋があって、そこでかけうどんか何かを食べたんだった。さぬきうどん風の太いうどん。勉強場所に困っている学生はいっぱいいる。そのうち、その図書室の机が勉強する学生で埋まってきて、学生の勉強禁止になったようだ。ぼくらは途中から、同じ会館の別の階の、男女参画の何かだったか、もう忘れたけど、さらに小さな図書コーナーの机を見つけてそこで勉強させてもらっていた。そこの担当の方は、迷惑そうな顔をまったくせずに受験勉強を静かに応援してくれていた。そういう場所があるのとないのとで、勉強への取り組み方がずいぶん違ってくる。学校の教室を使うこともできたけど、放課後まで学校にいたくなかった。学校の自習室も何度か試してみたけど、どうも気持ちが窮屈になってだめだった。赤本が並んでいた。周囲からはっぱをかけられているようで落ち着かなかった。学校を出ることで、開放感を感じることができた。そういえば、ゴールドジムという、ボディービルダーも通うようなジムに一時期通っていたけど、その話をジム好きの方にすると、ゴールドジムは気合が入りすぎるからダメだ、という予想外の反応だったのを思い出した。気合が入りすぎる空間もよし悪しである。自習には、ちょっと外れた空間がいい。いかにも勉強部屋、という感じではなく、勉強と関係のない話声がちょっと聞こえてきたり、おしゃれなバックミュージックがかかっていたり、全然関係のないものが目に入ったりするのがいいのかもしれない。カフェが勉強場所として人気なのはよくわかる。

ぼくが高校時代を過ごした和歌山市は、放課後の勉強場所を探すのが大変だった。市民図書館は学校の教材や筆記用具を持ち込ませてもらえなかったし、カフェは勉強禁止のところが多かった。大学生の頃、スタバですら本を読んでいたら注意され、どうなってるんだろうと思った。カフェはおしゃべりするところらしい。だいぶ前のことなので、今はどうなのか知らないけど。

香川の丸亀市にMARUTASU(マルタス)という場所ができた。スタバが入っていて、本も何百冊もあってなぜかぼく好みの本が多く、机と椅子もたくさんあり、2階は自習する人のためのフロアという感じになっている。高校生の頃にこんな場所が近くにあったらどんなによかったことか。オープンしたばかりの頃、思いのほか、自習しに来ている学生の数が少なかったが、だんだん知れわたってきたのか、この頃は増えてきたように見える。勉強に集中できる居心地のいい場所があっていいなぁ、と思う一方、放課後や休みの日まで学校や塾の勉強をして過ごすのはつまらなさそうだなぁ、と思って気の毒にも思えてくるのだけど、勉強したい人がしたい時にいくらでもできる場所があるのはいいことだと思う。

大学生の頃は、試験が近づくと、友だちとよくファミレスに行って、夜な夜な勉強したのを思い出す。友だちはノートパソコンを持ち込み、なれた様子でコンセントも拝借し、バックミュージックをかけてくれた。サイゼリアは夜な夜な勉強する学生に寛容だった。ドリンクバーの苦い紅茶の味がよみがえってきた。水と濃い濃縮果汁が同時に出てくるオレンジジュースの甘さも思い出される。勉強は勉強場所とともにある。

最近は、勉強のための勉強というのをしなくなり、毎日が勉強、という感じになってきた。机に向かってじっとしているのは一日に2、3時間がちょうどよくて、あとは動き回っているほうが調子がいい。とはいえ、一日に何時間もペンを握りしめて勉強した時間も今に役立っている。