鳥たちは人間をよく観察している、と思うことがある。
うちの畑の傍の電線にはよく鳥がとまって、ぼくが作業しているのを見て見ぬふりする感じで見ている。普段しない作業をすると、もの珍しそうに見ているように見える。豆の種蒔きをするときもよく見に来ている。先日もそら豆とえんんどう豆の種蒔きをしていると、名前は分からないが10羽弱くらいの鳥たちが、どこからかやって来てぼくの頭上を飛び、一番接近したときに挨拶するように鳴いた。そして電線にとまった。ぼくが種蒔きを終えて帰ったあとに豆をくちばしで土から掘り出して食べてしまわないかと心配になったが、種蒔きがもうすぐで終わるという頃に一斉に遠くへ飛んでいった。「食べませんよ」の意思表示のように見えた。
この鳥たちは、うちの畑の土手に産まれた卵から生まれ育ったのかもしれない。あるとき、草刈り機で土手に伸びた草を刈っていると、鶏の卵よりは小さく白に黒のまだら模様のある卵がいくつか入った巣が見つかった。その後、雛が生まれ、親の鳥はうちの田んぼの米をくちばしで運んで雛に与えているようだった。やけになついているように見えるのは、ここで生まれ育ったからかもしれない。
鳥たちは最初の頃よりも、お米を食べなくなったようにも見える。うちの稲は他の田んぼに比べて成長がゆっくりで、周りがとっくに稲刈りをし終えたころに熟するので、一点集中して狙われやすいはずだが、それにしてはあまり食べられた様子がない。稲刈りをしていると、強風に吹かれたのか、倒れて地面に接触した穂の米だけが遠慮なく食べられている。「これはさすがにいいだろう」と思ったのか。
庭の柿の木にしても、引っ越してきた1年目は、実が完全に熟した途端に鳥たちがついばんでいたが、翌年からは、熟してもすぐには食べなくなった。ぼくたちが熟した実をあまりにも放置してようやく、「どうやら食べないらしいぞ」と判断してから食べているように見える。
鳥は高い場所にいるので、人間のやっていることがよく見える。どこからともなく観察されている。
先日、空き家の庭木の手入れを頼まれ、以前に一度だけ行ったことのある庭で3日連続、作業をした。その庭では、木々が大きく育ちすぎて近所迷惑になり、普段、こまめに手入れを行うのも難しいので、根本から全部伐採することになった。屋根や木に上って手ノコで上部の枝を切り落とし、ある程度の大きさにしてからチェンソーで伐採した。鳥たちにとっては、木に巣をつくったり、とまって休んだり、大切な場所かもしれず、全部伐ってしまうのは申し訳ない気もしたが、最後の日に木の伐採を完了して、伐った木を薪にするために軽トラに積み終えた瞬間、姿は見えなかったがたくさんの鳥たちが一斉にうれしげに鳴くのが聞こえてきた。木が茂りすぎて鬱蒼としているのは鳥たちも好きではないのかもしれない。うちの庭でも、冬に木を剪定していると、鳥たちがうれしげに鳴き始める。うちの庭の鳥がぼくのすることに合わせてうれしげに鳴くのはもう不思議ではなくなったが、他人の家の鳥でも客人の行動をよく見ているものだなぁと思い、改めて鳥たちの観察力を知らされた瞬間だった。
人間が思うより、鳥たちは賢いのだろう。普段、外出するときはいちいち挨拶をしないが、実家に帰省するときなど、長期間家を離れるときは、自転車で家を出る瞬間に何羽もの鳥たちが一斉に鳴いて送り出してくれることが何度もあった。
外に出られない日が続くと、どうしたんだろうと心配になったのか、窓の外から家の中をさりげなく見ていることもあった。目が合ってこちらが元気なのを確認すると、どこかへ飛んでいった。人間だったら確実にストーカーレベルだけど、鳥だから可愛く思える。