昔、野菜というのは、どちらかというと「おまけ」のようなもので、お肉や魚がメインで、野菜は必要な栄養素をとるために時にはがんばって食べるものだと思っていました。
野菜の美味しさを本当に知ったのは、東京にいた頃、自然食品店のナチュラルハーモニーの自然栽培の野菜を食べ始めた頃だと思います。繊維のつまった大根、甘いにんじん、厚く切ってステーキのように焼いた、とろりとした食感のなす…。それまでに知っていた野菜とは別人、別格の野菜たちに驚き、本物の野菜が身体にもたらす満足感を体感し、いつの間にか、それまで欠かせない主役だと思っていたお肉が好きではなくなり、野菜たちが主役の座を獲得しました。
先日、あるお店で、提供された料理に対して、味が薄すぎて食べられないから塩を持って来て、と言うお客さんがいるというお話を聞いて、野菜の美味しさを知る前の感覚を思い出しました。
味の濃い食べものや化学物質たくさんの調味料に舌が慣れていると、素材そのものの味を感じるセンサーが弱ったりオフになったりしてしまいます。市販の加工品は、口に入れた瞬間に「美味しさ」(偽りのものだとしても)を感じるように作られているそうですが、自然な食べものの本来の美味しさというのは、口に入れて数回噛んで「おいしいーー!」というようなものではなく、何度もゆっくり噛んで、じっくりと味わうことで、全身でじんわりと感じられるものだということがわかってきました。そういう食べ方に慣れていないと、一口入れてもの足りないから「塩ちょうだい!」ということになるのでしょう。
火にかけたり塩をかけたりすると、野菜本来のそのままの味が変化してわからなくなるので、まな板の上で野菜を切りながら、一口生のまま味見してみることがよくあります。「これは生のままのほうが美味しいやん!」ということになれば、塩とオリーブオイルだけでサラダにしたり、「うーん…ちょっと苦いから焼いたほうがいいなぁ」となったり、「焼いたのと生のと両方食べたいから、半分はぬか床に入れよう」となったりします。
買ってきた野菜は、無農薬栽培だとしても、堆肥や肥料に何を使用していえるかわからない場合が多く、硝酸態窒素が多く含まれる野菜を生で食べ過ぎると身体によくないらしいので、見た目(緑が濃すぎると肥料過多で、硝酸態窒素がたくさん含まれていることが多い)や味で判断して、調理方法を決めます。
料理は野菜との対話で、たくさん対話すればするほど、野菜のことがわかってきて(わかってきたような気がして)面白いです。ほんの10年ほど前には、道ばたで育っている野菜を見ても、実がなっていないと何の野菜なのかほとんどわからず、相方にあきれられていましたが、10年ひと昔、というだけあって、いつの間にか野菜との関わりがずいぶん深まったなぁと、時々感慨深く思うことがあります。
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by 硲 允(about me)