何事も、まずは自分が楽しむ、というのが大事だと最近よく思う。
誰かが喜んでくれるのも自分の喜びになるものだけど、他人目線で他人の期待に応えようとばかりしていると、いつの間にか自分が楽しむのを忘れていた、ということになりかねない。自分が楽しくないと、いくら世のため人のためになりそうなことでも、なかなか続かないし、続けていても疲弊してくる。
今の世の中、自分が楽しいことばかりして生きていくのはなかなか難しい。お金がないと困るし、生きていくために楽しくないけれどせざるを得ないこともある。だけど、その中でも、自分自身が本当に楽しいことは何なのかをその時々で認識しつづけることが、楽しいことを増やしていくためには大事だろうと思う。
今の暮らしでは、楽しいことなんてしている時間も余裕もない、という場合も多いと思う。だけど、ほんの小さな、ささやかな楽しみというのは探せば案外あちこちに転がっているかもしれない。楽しいことを見つけるのが上手な人は、他の人が楽しんでいないようなときでも楽しがっている。楽しいことをしていると、他の楽しいことが集まってくるものだと思う。一つ楽しくないことがあったからといって、そこにばかり目を向けていると損をする。楽しいことがなかなか向こうからやって来なかったり、その辺に転がっているのを見つけられないなら、自分でつくり出すのが手っ取り早い。
他人を変えたら、世の中を変えたらもっと楽しくなりそうだと思っても、自分以外の人間を変えるのはそう簡単なことではない。そう簡単なら、自分自身だって、誰か他人に簡単に変えられてしまう可能性がある、ということになってしまう。いいように変えてくれるならいいかもしれないけれど、わるい方向にそう簡単に変えられたらたまらない。
楽しそうな人がいると、なんでそんなに楽しいのか気になる。そして真似してみたくなる。自分が楽しんでいれば、ちょっと真似したくなる人が時々あらわれる。お互い様。そうやって、人と人は交差しながら少しずつ変わっていく。変わるときは、自分の意思で、自分の頭で考えて判断して、というのじゃないと、結局、他人に振り回されてばかりになってしまうし、自分が変わっていきたい方向を見失ってしまう。
英語で「楽しむ」を「enjoy myself」と表現するのは面白い。楽しみは誰かから与えられるものではなく、自分の意思で実行するものだ、というニュアンスが感じられる。楽しむかどうかは、自分次第。自分が一番楽しめることは何なのか、それは自分が一番よく知っている。それを実行するかどうかも、自分次第。
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by 硲 允(about me)