最近、「文字を書く」となると、手書き文字よりもパソコンで活字を打つことのほうが圧倒的に多くなった。ぼくはスマホを使っていないが、スマホのヘビーユーザーであれば、手書きよりもスマホ文字(スマホで打った文字)を書くことのほうが圧倒的に多いだろうと思う。
手書きよりも活字で書いたもののほうが「ちゃんとしている」ように受け取られそうな場面に時々遭遇して違和感を覚えることがある。
たとえばビジネス文書…契約書や請求書を手書きで作成したら、つくり直すことを要求されるかもしれない。パワーポイントで作成したプレゼン資料はきっちりした印象を与えるかもしれないが、手書きで書いたプレゼン資料はどうだろうか。
活字には活字の便利さがあるし、手書きには手書きのよさがあるわけで、場合によって使い分ければいい話だと思うが、いつの間にか手書きよりも活字のほうが「格上」という認識が広まるのはイヤだなぁと思う。品格でいえば、機械で書いた文字よりも、人間が心を込めて書いた文字のほうが「格上」であると信じたい(面倒くさそうに雑に書いた文字よりも魂を込めて機械で書いた文字のほうが「格上」だとは思うが)。
人間よりも機械のすることを上に見るのは、人間が人間に自信をなくしているためかもしれない。文字の話から離れるが、洗濯にしても、今の時代、手洗いよりも洗濯機のほうが、また、手洗いよりも食洗機のほうがきれいに洗えると思っている人も多いかもしれない。AIに仕事を奪われることをおそれるのも、人間が人間の頭脳や心に自信をなくしているためかもしれない。人間が人間に自信を取り戻すには、あまり機械に頼りすぎず、自分の身体や心を使って小さなところから何かをつくり、その喜びを感じることが必要なのではないかと思う。
【関連記事】
by 硲 允(about me)