人間を不必要に男女で区別する時代は終わりつつあるように思う。
文具メーカーのコクヨが性別欄のない履歴書を発売するという話を聞いた。男・女の記入を求められる履歴書のせいで、そのような区別がしっくりこない人々が悩まされ、苦しめられてきた。ぼくはそういう悩みがなく生きてきたが、人間を杓子定規で規定するようなことはなんでも嫌いなので、うれしいニュースだった。
ユニリーバ・ジャパンは、採用活動において、履歴書に性別の記載を求めることを中止すると今年発表している。
「ユニリーバ役員に直撃。採用活動で名前も顔写真も不要にした理由とは?」(BUSINESS INSIDER)
性別を記載しなくても、名前や顔写真で男・女を勝手に判断されるのではないかと思ったが、上の記事をよく読むと、名前は名字だけの記載でよく、顔写真の提出も無いという! よくそんな思い切った決断ができたものだと驚いたが、日本の担当者たちが奮闘した模様。今後、他の企業もこれに続くだろうと思う。
KDDIは今年6月から、同性パートナーの子どもを社内制度上「家族」として扱い、育児休業や出産祝い金などを利用できる「ファミリーシップ申請」制度を導入したという。
KDDIが同性カップルの子を家族に含める「ファミリーシップ申請」制度を導入(OUT JAPAN)
身体や心の性別に対する認識は、子どもの頃から形成されていく。保育園や幼稚園などに時々行く機会があり、園によっては、不必要なまでに男女を区別していて暗澹たる気持ちになることがある。座る場所や服装、役割などを男女で分ける必要はないのではないかと思う。そういえば、一度だけだが、園へ一緒に行った活動仲間が自分のニックネームを「~ちゃんです」と名乗ったら、子どもたちが笑い、何が面白いのかと不思議に思ったら、見た目がいわゆる男が「~ちゃん」という名前だったのがおかしかったらしく、「~ちゃん」はいわゆる女の子のもので、男の子は「~くん」が「普通」のようだった。いろんな園に出かけているが、珍しいことにみんながみんなそこで笑ったので、園でそういう固定観念を植え付けられているのだろうと思った。そういうのは一度心にしみつくと、取り除くことはなかなか難しい。こういう何気ないことが、後々、誰かの悩みや苦しみを生み出していく可能性がある。大人の責任というものを考えさせられる。
そういえば、ある園の女性の園長先生が、同じ園長という立場で同じ仕事をしても、男性よりも給料が少ないと、嘆きと怒りをにじませていたことがあった。社会のいたるところで、男女差別や男尊女卑の思想はかたくなにはびこっている。しかし、そういう悪習を維持しようとする組織やシステムは今後もろくなり、消滅していく時代に入っていくのではないかと思う。そして、古い考え方を振りかざし、それに固執する人間は新しい時代の人間から尊敬を得られず、自分も幸せに生きられない時代にますますなりつつあるように思う。
【関連記事】
- 『「女子」という呪い』(雨宮処凛 著)を読んで。みんなで呪いを解こう
- 学校で男女共に「さん」づけ、「あだ名禁止」についての私感。
- 「化粧をしない女性は失礼」、なんて考え自体が失礼だと思う。
- 「主婦」という古めかしい言葉について。
- 働く女性が面接官に好感をもたれるマナー講座なんて、セクハラか男女差別にしか思えない
- 「彼女」「妻」「家内」「嫁」などと呼びたくないから、ぼくは「相方」と呼びます。
- 「料理は女がするもの」だとは思わない。料理の分担と食の好み、健康的な食生活のことなど