漠然とした不安を感じなくなった。


そういえば、「漠然とした不安」というものを感じなくなったなぁと最近ふと思った。

そして、お肉を食べなくなったことを思った。動物は殺されるとき、当然、恐怖を感じる。お肉を食べるということは、その恐怖のエネルギーを自分の身体に取り入れることだというような話を時々見聞きする。そういうことは、たしかにあるかもしれない。

畑で食べものを育て始めたのも大きいに違いない。畑さえあれば、いざとなっても食べるものには困らない。普段食べるものを全部畑でまかなえているわけではないが、いざとなっても飢え死にすることはないだろう。食べられる野草の知識も増えてきたし。

今の畑は借りている土地だけど、土地さえあれば生きていける。野菜を育てるには種が必要で、種も大事。種がいかに大事かは、畑で自分の食べるものを育て、種がなければどうなるかを想像してみればよくわかる。今のところありがたいことに、種はあちこちから購入できるが、自分で全部種を採りついで賄うとなるとずいぶん大変だということがわかった。

痛いのや苦しいのや痒いのは嫌だけど、死ぬのはたいして恐いとは思わない。やりたいことをやり切らずに死ぬのは嫌だけど、やり切ったと思えたあとで死ぬのならめでたいゴールである。死は悲しいばかりではない。めでたい死を遂げたい。そのためには、健康に生き切らなければ、と思う。

他人にどう思われるか、というのも不安要素になることが多いと思うけれど、そんなこともどうでもよくなってきた。他人にどう思われるか、よりも、自分が他人をどう思うかのほうが大事。他人がどう思うかを自分でコントロールすることはできない。そんなことに一喜一憂していては、自分の幸福感の増減を他人任せにしてしまうことになる。

新型コロナが世間を賑わしているが、自分自身は、新型コロナに接触しても大したことにはならないだろうという科学的根拠のない自信がある(かといって、他人の感染の原因にならないように気をつけてはいるが)。科学的根拠よりも、日々の暮らしに基づく心理的根拠による自信のほうが大事なことも多いと思う。


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by 硲 允(about me)