自然に近い田舎暮らしは、将来の漠然とした不安を消してくれる。



先日、カフェで仕事をしていると、若い男の人の話し声が耳に入ってきました。

「人生にはトラブルがつきもの」「いつ何が起こるかわからない」、だから…というような話らしい。

「今までの人生で何かトラブルあったかなぁ」とちょっと思いを巡らし始めたところで、そもそも「トラブル」という言葉は新鮮だなぁと思いました。自分ではほとんど使わない言葉です。悩みやちょっとした厄介なことは今までいろいろあったけど、「トラブル」にしっくりくる出来事は思い当たりませんでした。

ぼくは「マイナスのこと」に備えて何かをするのが好きではありません。失業に備えて「安定した」職に就くとか、病気や不幸に備えて保険に入ったり、誰かに嫌われるのがイヤで気の進まないところに出掛けていったり、というのは苦手です。

最低限の危機管理は必要だと思っていますが、必要以上に「マイナスのこと」(未知の不安)をおそれすぎると、そのマイナスなことを引き寄せてしまいそうで、最低限必要な対策をしたあとは、マイナスなことは忘れているように心掛けています。

カフェでそういう話が聞こえてきた後、相方と、「自然に近い暮らしをするようになってから、将来の不安が減った」という話をしました。

たとえば、こういうことです。

・大きな病気をしたらどうしよう?
→ そもそも、健康的な食事と暮らしをしていたら、病気にかからないだろう(食事を変えてから、二人ともほとんど病気をせず、だんだん元気になってきました)。
→ 病気になったとしても、高い医療費がかかる現代医療のお世話にならず、自然療法で治せる自信がついてきた(ここ数年、歯医者以外、病院に行っていません。1年間病院にかからなかったので、先日町から商品券が届きました

・仕事がなくなって食べていけなくなったらどうしよう?
→ 田畑で自分でお米や野菜を育てているので、現金収入が減っても、「食べていけない」ということはないだろう。
→ 田舎には竹や木や草花など、自然の資源が豊富なので、元手がなくても仕事をつくっていきやすい。
→ 食べられる野草がわかってきたので、いざとなれば野草で食いつなぐ!?

・突然、今は予想もつかない不幸に襲われたらどうしよう?
→ そのときはそのときだ(!?)。自然に近い暮らしをしていると、不思議と漠然とした不安というのが減ってきます。畑で草を刈っていてうっかりミミズをちょん切ってしまったとき、人間も(自分も)いつ偶然、こんな不幸に見舞われるとも限らないと思うことがありますが、そのときはそのときで、今を楽しく生きていればいいのだと覚悟が決まってきます。


とはいえ、身体を動かさずに頭ばかり使ったり、太陽の光を浴びずに家の中にこもってばかりいると、気持ちが晴れず、不安になってくることもあります。そんなときは田畑に出て、ひと仕事して家に帰ってくる頃にはずいぶん気持ちが晴れやかになっているものです。