ブログを書いて「自分の言葉」を取り戻そう



ぼくらが発する言葉というのは、相手や場所に影響を受けるものです。

相手や空間に自分を合わせているうちに、いつの間にかそれが自分の「デフォルト」(標準のモード)になってくるものです。

それが、「自分がこうなりたい」という姿であればいいですが、もしそうでなければ、なりたい自分に向かって進めるよう、方向転換する必要があります。

この世の中、こう考えろ、こう思え、こうしろ、こう生きろと、いろんなところからプレッシャーを受けるものです。学校、職場、テレビや新聞などのメディア、日々接触するあらゆる情報…。それをうまく生かせればいいですが、何となく、あるいは無理をして合わせているうちに、「自分の言葉」(自分が本当は何を想い、何を望んでいるのか)を失ってしまいがちです。

人間というのは、日々、言葉を使っていますが、自分以外の何者かの期待や要求に応じて言葉を使っていることが多いものです。

翻訳やライターの仕事というのは、他者の意志に沿って言葉を用いる仕事です。翻訳は、原文のニュアンスになるべく忠実であることが必要とされるし、ライターの仕事では、自分でメディアを持たない限り、媒体と取材相手という両者の期待に応えることが求められます。

完全に自分の自由にならない中で言葉を使ったあとは、自由なところで言葉を使いたくなります。「ねえ、聞いて!」と何でも話せる相手に話して鬱憤を晴らす人もいるでしょう。ぼくの場合は、最近ならブログを書くことです。

前までは、他者の目を気にし過ぎて想ったままを書けないことをおそれてノートに書いていましたが、今は、自分の考えや想いを整理しながら自由に発信もしていけるブログというものが気に入っています。

普段、想っていることや言いたいことが言えていない人ほど、何でも好き放題に言える場所をつくる効能が大きいのではないかと思います。

ぼくは実名でブログを書いていますが、実名で好きに書いたら困ったことになりそうだ、という方は、匿名でこっそり書くのもいいと思います。普段、何を想っているのか知りたいなぁと思う人ほど、想っていることを何でも言ったら生きづらくなるためか、あまり発信していなくて残念に思うことがあります。世の中、もっと「自分の言葉」であふれるようになったら、もっと面白く、もっと生きやすい場所になってくるのではないかと思います。