塾講師の苦い思い出

学生の頃はいろんなアルバイトをやってみたが、なかでも塾のバイトが多かった。

バイトでも、実際に働いてみると、そこの裏側が見えてくる。蕎麦屋では、湯呑を時間をかけてきれいに洗いすぎて怒られた…まとめて水にちょっとつけて終わり、というのが正しい方法らしかった(以来、その蕎麦屋で食事をする気にはなれなくなった)。

ある進学塾では、講師研修で、生徒を叱る練習をさせられた。塾長曰く、踏切で線路に閉じ込められて、向こうから電車が来ているときに助けを求めるときに出すくらいの大声で生徒を叱るのだという。それくらいの大声を出さないと、生徒はビビらないという。従順な学生時代のぼくは、言われた通りに大声を出す練習をした。

そんな究極の大声を出す機会はなかったが、毎回宿題をしてこないふてぶてしい生徒がいたので、試しに恐い感じで叱ってみた(といっても、たいした「恐さ」は演出できていなかっただろうけれど…)。塾長直伝の脅し作戦はいかに…翌週は見事、なんと初めて宿題をやってきたが、その次の週にはもう効果が切れていた。これではいくら大声を上げたとしても喉がもたないし、恐い顔も生徒は見慣れてくるだろう。実験の相手をさせてしまったその生徒さんには気の毒だったが、こんな方法ではダメだと実感したものだった。

しかし、若い頃に教わったことは、すぐに身体に染み付いてしまうものだ。別の塾でも、線路の大声を提唱する塾長直伝の怒りモードを発揮してしまった。授業中に話を聞かない生徒がいたので、腹が立ったのもあり、何を言ったのかは覚えていないが大きな声を出すと、別の男子生徒が気の毒そうな表情でこっちを見ていた。クラスメイトを思いやるその表情を見ると、ぼくは自分が卑しい人間に思えた。それ以来、塾の生徒に対して怒ったり大声を上げたりすることは一度もなかった。

「先生」なんていっても、先に生まれて先に学校の勉強の知識を仕入れただけに過ぎない(人間の成熟度は人による)。ぼくも今でこそ少しはまともな人間になってきたと自分では思っているが、学生時代のぼくのような先生がいる塾や学校に子ども(がいたとして)を通わせたいとは思わない。子どもをどんな人間と交流させるかについて、大人は責任をもってよくよく考えるべきだと思う。

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by 硲 允(about me)