なんでもお見通しやで |
「先生」と呼ばれる人々は、自分が何かを知らないことを恥とする傾向があるようです。
自分が考え出したことでもないのに、出所を明らかにせず、真実のように語ります。
質問されて答えられないのは気まずいので、ちょっとずれたことや、何となくしかわかっていないことを、上から目線で正解のように語ります。
そんな先生ばかりではありませんが、そんな人を見ると、「先生様になってもたなぁ」と思います。
先生になってしまったら、そういうプレッシャーがあるのもわかります。大学生の頃、ぼくは塾講師のアルバイトをしていて、あるとき、jerseyという英単語がわからなくてどうしようとあせり、とっさに上手いことを言って電子辞書で調べてごまかしたことがあります。(ちなみに、jerseyは「ジャージ」のことです)
そのときの生徒さんは、ぼくがごまかしたのを見抜いていたでしょう。ダサい先生です。先生も知らないって言えばいいのに。
塾でぼくは英語の担当だったのに、ある日、数学の別の先生が突然来られなくなり、代わりに数学を担当させられたことがありました。中学生の生徒さんに質問されてもわからず、仕方なく問題集の解説を見てもわからず、あげくのはてに、その解説を生徒さんにわたして、「これ見たらわかる?」ときいてみました。その生徒さんは、解説を見ながらしばらく自分で考えたらわかったようでした。そんなダメ先生でしたが、ぼくをバカにしたり見下げるような様子は全くありませんでした。
別の塾でも、ぼくは英語と国語を担当していたのですが、急きょ数学も担当させられ、またもや中学生の質問に答えられずに困っていると、その生徒さんは、「(数学の)◯○先生にヘルプ?」と言いました(10数人の生徒さんのところを数人の先生が順番に回っていくスタイルの授業でした)。そのときもバカにしたような感じではなく、親しみのこもった調子だったので妙に感心したのを覚えています。子どもたちは、先生が教科のことを知っているか知らないかより、もっと本質的なところを見ているのでしょう。ごまかしたりウソをついたりしたらすぐに信頼を失うと思いますが、知らないことを正直に知らないと言う先生のほうがぼくも好きです。
もちろん、「先生」と呼ばれるような立場にあるなら、(当時のぼくのようではなく)その分野の専門知識を持っているべきですが、何でも知っているわけでもわかっているわけでもありません。知らないことは知らないと認め、誰とでも対等な目線で一緒に学んでいく姿勢と心構えが大事だと思います。