「修行的」になると楽しめなくなる


「何事もいかに楽しむかが大事」と思いつつ、言いつつ、すぐに実践はそこから逸れていってしまいやすい。

これだと思って自分が熱心に取り組むことを決めたら、「修行的」になってしまって心から楽しむことを忘れてしまうことがよくある。

今年は音楽に集中しようと思って、ギターをほぼ毎日、休みなしに何時間も弾いていたら、しょっちゅう指を痛めてしまった(今も痛めて弾けない…)。修行的にむきになってやり過ぎたら、上達のことばかり気になり、今を楽しめなくなってしまいやすい。身体も痛めてそれ自体できなくなれば、楽しむどころではなくなってしまう。

音楽を聴くほうもやり過ぎて、デスクワーク中に真ん前のスピーカーでバックミュージックにしては大きな音で(そもそも「フロントミュージック」だし…)音楽をかけ続け、食事中や部屋で作業をしたり運動をしたりするときなど、音楽がなっていると集中できないようなものに取り組むとき以外、チャンスあるごとに音楽をずっとかけていたら、知らず知らずのうちに耳が慢性的に疲労していたらしく、耳も痛めてしまった。子どもの頃から中耳炎になることが多く、夏の疲れで免疫力が低下していたのもあるのかな、と思っていたけれど、かけ続けてずっと耳を傾け続けていた音楽が直接の原因だと気づき、音楽を控えるようにしてから急速に回復してきた。あのまま耳に負担をかけ過ぎていたら難聴になっていたかもしれない。

音楽を聴くのも、修行的に聴きすぎると、いつの間にか楽しみが失われてきた。音楽をしばらく抑制していたあとで聴いたら、久しぶりに音楽が心に響いてきて、今まで何をしていたんだろうと自分でも呆れた。

何事もほどほどに、楽しめる程度に、というのが、人生そのものを楽しむためのコツだろうと思う。


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by 硲 允(about me)