ワイドショーは「いじめ」に似ている。「空気を読んで」ばかりいるとロクなことにならない



もう何年も家にテレビがない暮らしで、外食するときなどにテレビが付いていると、もの珍しく、注目してしまいます。

先日、高松のラーメン屋に行ったときに付いているテレビに目を遣ると、ワイドショーがやっていて、某知事がどれだけ「ケチ」な人間か、という内容でした。

マクドナルドのクーポンを職員に取りに帰らせたとか、具体的な例を次から次へと挙げ、いかに「ケチ」かを演出して、みんなで盛り上がっていました。

「何でこんな人が知事になれたんだろう?」というようなコメントもありましたが、「何で今頃になってこんな番組を放送してるんだろう?」と思いました。

某知事がどういうことをしているかは、選挙で当選する前から明らかだったことです。SNSのタイムラインでもいろいろ流れてきていました。

当選直後にも、資金流用のことがニュース記事になっていましたが、ほとんど報じられず、どうなってるんだろうと思っていました。

それがここへきて、もうこの人はどんどん非難していいよ、という流れができてくると、みんなで一斉に非難合戦を始めます。

もちろん、批判すべきことは批判したほうがいいけど、やり方が卑怯くさいなぁという感じがしました。テレビを見ながら、これは学校とかの「いじめ」に似ているなぁと。

「あいつをいじめていいよ」、ということになったら、みんなで一斉に無視したり意地悪したり。いじめられている人を弁護するようなことを言ったりしたりすると、今度はその人がいじめの対象に変わる、という話もよく聞きます。

某知事の「ケチ」さを暴くこの番組でも、「あの人はこんなケチな人だけど、自分は直接一緒に仕事をしたことがあって、こんないいところもあった」なんてことはとても言えないような雰囲気でした。

「今は非難するときだ」となったら、みんなでこぞって非難する。「まだ非難してはいけない」という暗黙の了解があったら、みんなで口をつぐむ。いわゆる「空気を読む」というやつです。

その「空気」をつくり出す人間というのは、平気でわるいことをしようとしている人間とか、権力を自分(たち)の都合のいいように利用している人間とか、力で他人を虐げることに快感を感じている人間とか、深く考えずに偏った情報だけを元にものを言える人間とか、そういう場合が多いのではないでしょうか。「声の大きい」人間が、その場の空気をつくり出す。

「これは違うな」と思ったら、空気なんか読まずに、自分の思っていることを表明していかないと、自分の望まないものを生み出したり、その流れを加速する助けをしてしまうことになります。自分の本心を殺して空気を読んでしまいそうな場所には近づかないことも大事かもしれません。それから、空気を読んでいるフリをして、自分がつくりたい空気をつくっていくテクニックも必要でしょう。

こんなテレビ番組が家で四六時中付いていたら気が狂いそうですが、ときどき外で見る分にはいろいろ考える材料になり、勉強になります。


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