一人になる時間

誰しも、一人になる時間というのは必要だと思います。ぼくはどちらかというと、一人になる時間がたくさん必要なほうかもしれません。一人といっても、同じ部屋の少し離れたところでパソコン仕事をしていて、ぼくも机に向かっている…そんな状況も、ぼくにとって「一人になる時間です」です。要は、物理的に周りに誰もいない、ということではなく、誰か他の人のことを気にせずに「自分の世界に入る」というような意味合いです。

一人になる時間がどれくらい必要かは、どんな状況で「自分の世界に入る」ことができるかによるところが大きいのかもしれません。

周りに誰がいようとどれだけ大勢の人に囲まれていようと「マイワールド」の人もいます。そういう人は、物理的に自分一人になりたい、と思う時間が少ないように思います。

その一方で、他人に気を使い過ぎるような人は、物理的に自分一人になる時間がたくさん必要なのかもしれません。ぼくもそのタイプです。

こういうのは、育った環境とか、生まれつきの遺伝的なこととかによるのだと思いますが、自分にないものを求め過ぎると上手くいかないような気がします。ぼくのようなどちらかというと内気な人間が、社交的な人間に憧れて無理やり他人との接触を増やしても、外見では社交派になれるかもしれませんが、無理をすると心の疲れがたまっていきます。そんなことをしていると究極的には、もう誰とも会いたくない、ということになりかねません。

かといって、自分はこっちのタイプだ、と思って、一つの方面にだけ進み過ぎても、偏った人間になりこの世で生きづらくなるように思います。内気な人間が、他人と関わるのは億劫だからと 、他人との接触を避けていると、ますます内気になり、ますます他人と関わるのが億劫になります。そして、山奥に一人で暮らして仙人にでもならないかぎり、他人との接触を完全に避けることは不可能です。なるべく一人の世界に生きようとしても、どうしても他人との接触というのは生じるものなので、それをおそれていては、生きるのが窮屈になります。

自分一人で生きる人生というのは寂しいものだと思います。かといって、他人との関係によって自分の本領を発揮できない人生はもったいない。

どうすればいいのでしょう。多かれ少なかれ、たいていの人はそういう悩みを抱えているのだと思います。ぼくは多いほうか少ないほうかわかりませんが、こういうことは常日頃の課題ではあります。

ぼくはまずは、なるべく他人のことを気にせず、自分が何をしたいのか、何を思っているのかをはっきりさせるように心掛けています。そして、何かを発言したり実行したりするときには、なるべく他人にどう思われるかを気にしないようにしています(なかなか難しいですが)。ただし、自分の発言や行為が他人にどういう影響を与えるかについて、よくよく考えておく必要があります(考え過ぎてタイミングを逃したり控えめになりすぎたりすることも多いですが)。

難しく考えすぎるとうまくいきません。究極的には、自分が楽しく、生き生きとしていられる道を、日々、刻々、選びつづけることだと思っています。「正解」は探してもどこにもなく、人生の答えは自分でつくっていくしかないのでしょう。


by 硲 允(about me)