「持ち回り」より「持ち寄り」のほうがラクで楽しい。


今お借りしている家の庭に倉庫があり、そこに薪風呂ができる予定なので、倉庫の片付けをしました。中のものは捨てていい、と大家さんから言われていて、何が出てくるのだろうと宝探しのように段ボール箱をどんどん開けていくと、そのほとんどが食器でした! さすがは香川、うどん用のどんぶりが何十個もありました。

後日、香川出身の方と話していると、昔は外食する場所があまりなかったので、持ち回りで誰かの家に集まって食事をしていたとのこと。

あの大量の食器は、その当時に活躍していたものだったわけです。時代を感じます。

東京にいた頃、友だち同士で集まるといえば、どこかへ出掛けたり、カフェで話したりすることが多かったのですが、香川に移住してからは、誰かの家に集まって、料理を持ち寄りでおしゃべりを楽しむことがよくあります。

場所は持ち回りですが、料理は持ち寄り。これは準備がラクですし、人が集まれば集まるほどいろんな料理が楽しめます。うちで開催することもありますが、自分のところでする場合でも、掃除をしたりお茶を用意したりといった準備くらいで、面倒なことは特にありません(定期的に開催すると家をきれいに保てます!)。それに、外食するよりもはるかにお金がかからないし、閉店時間のあるお店のように時間を気にする必要がありません。

先日は、山に住む友人宅で、新鮮なお魚の鍋会でした。



友人が特別なルートで仕入れた鯛とブリをしゃぶしゃぶで。


野菜もおかずもいろいろ。最後は卵を溶いて雑炊にしました。



昔は、誰かの家で集まるとなったら、その家主が客に料理から何からもてなす、という習慣というかメンタリティがあったと思うのですが、最近ではそのメンタリティ(気持ちのあり方)自体が変化してきたのかもしれません。「おもてなしの心」というのは失われたわけではありませんが、どこに集まろうと、常に対等な立場で接しようとする傾向があるように思います。

持ち寄り会の楽しさを知ったのは、自然酒をつくっている千葉の蔵元「寺田本家」のイベントでした。寺田本家では、毎年、お酒の材料となる稲の田植え会や稲刈り会を開催されており、参加者は料理を一品ずつ持ち寄って、作業後にみんなで宴会をします。こだわりの一品が持ち寄られ、お酒をいただきながら、お互いの料理を味わい、材料や作り方を聞いたり、初対面の人同士の話題のきっかけにもなります。

ぼくにとってはこれが原点になっているので、持ち寄りというと、寺田本家での集まりを思い出します。

寒い冬は、こたつに入ってお鍋がいいですねー。畑には、うちで食べきれないくらい、大根、小松菜、山東菜、日野菜かぶなど、お鍋によさそうな野菜が育っているので、新鮮な野菜が楽しめます(この間は、収穫したものの持っていくのを忘れてしまいましたが…)。


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by 硲 允(about me)
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