自分の人生を不本意にコントロールしてくるお金と人情について


お金では動かされないぞ…と常々、心がけています。

道具は使いよう。お金も使いよう。いいことにも使えますが、誰かを、本人の願望に反したことをさせることにも使えます。困ったことに。

お金がないと暮していけない環境にいる場合は、特にそうです。東京で暮していた頃は、香川に移住した今よりも生活費がかかりました。家賃だけで、文字通り桁違いです。

東京でも、だんだんと、気の向かない仕事は減らしていきました。その分、無駄な出費も減らしました。地球と体になるべく余計な負荷をかけないように心がけて買い物をするだけで、出費は結果的に減ります。暮しに必要だと思っていたものも減りました。シンプルライフ。すっきり。身の回りも体も心も。元気になれば医療費も減ります。

香川で暮し初めて、生活費がさらに減りました。電気代500円生活(その後、離れも借りて2軒分なので2倍ちょっとになりましたが)。最低限必要な出費が減ると、自由が増えます。もちろん、好きなこと、本当にしたい仕事だけをして潤沢に収入も得て、欲しいものは何でも思うままに変えれば自由といえば自由ですが(それはそれで無駄遣いのリスクが増えそうですが)、なかなかすぐはそうなるのは難しいものです。

お金による自由の束縛から逃れるには、まずは無駄な出費を減らしつつ、気の向かない仕事を少しずつ減らしつつ、自分が本当にしたいことを少しずつスタートするのが王道だという気がします。

お金に自由を奪われてコントロールされることがなくなってきたら、次に気をつけなければならないのは、「情」による束縛でしょうか。世の中、情に働きかけて他人を自分の望む通りに動かそうとする人もいるものです。ぼくはその手に乗りやすいところがあるので、薄っぺらな人情よりも自分の人生の望みを優先するように心がけています。冷淡、非人情と言われても、結構、ケッコー、てなもんで、そんなことを思う人ほど、自分の個人的得が最優先で他人の人生を軽視するものだと思っています。


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by 硲 允(about me)