車に画面2つ

赤信号で停車中、前の車の後部座席の子どもが暴れていた。よく見ると、後ろの席の人のために画面が2つもついていて驚いた(前の2つの座席の背部に一つずつ画面がついている)。

近くでテレビを見ると目がわるくなると子どもの頃に言われたものだけど、画面のこの近さはきっと目によくないだろう。車の狭い空間で画面を設置しようとすればそうなるのだろうけど、小さい子どもの頃に画面にへばりついて映像ばかり見ていることによる精神や頭脳や身体への影響が心配になる。

子どもにとって、車での移動中のヒマさはよくわかる。子どもの頃、何もせずにじっとしている時間は大人になってからよりも長く感じたような気がする。車で家族で長距離の移動中、ヒマになって「まだー?まだー?」と言って怒られた。ヒマになったら、車窓を眺めたり、車のナンバーの数で遊んだり、電信柱か何かの数を数えて遊んだりした。子どもはヒマになっても、そのときにあるもの、見えるもので何か遊びを考え出せる。ところが、与えられる楽しさに慣れてしまうと、次々に興味を引くものを要求するクセがついてしまうのではないかと思う。今はネットに接続すれば、いろんな動画を際限なく見ることができる。昔はお気に入りのアニメを飽きるほど何回も見たものだった。どっちがいいのかは一概には言えないが、飽きてくると、自分の頭を使って何かしら工夫しようとするのはクリエイティビティを高めるためにいいことのように思う。

与えられる楽しみというのは、中毒性がある。それは子どもに限ったことではない。なにか面白いものがないかと、SNSを四六時中チェックしている大人も同じことだろう。与えられる楽しみではなく、自分でつくり出す楽しみというのは、時間も手間もエネルギーもかかり、即席では味わえないので、与えられる楽しみに向かいやすいが、与えられるだけではつまらない。ところが世の中、なにかを与え、消費させることでお金儲けをしようという力学があちこちで働いているので、自分の意思を働かせて自分の行動を自分でコントロールしないと、まんまと消費させられ続けるサイクルに入ることになり、消費し続けるためにはそれなりのお金が必要で、たいして意義ややりがいや使命を感じない仕事に時間とエネルギーを費やし続けるサイクルに入ることになりやすいが、それで納得できるか否かは人それぞれ…。


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by 硲 允(about me)