G-SHOCKと祖父

時間に縛られるのがイヤになった今では時計嫌いになったが、学生の頃、G-SHOCKの時計が欲しくて、祖父にねだったことがある。

ピアノをはじめ、おそらく孫の教育に役立ちそうというか、将来の糧になりそうなものには投資を惜しまずすぐに買ってくれた祖父だったが、G-SHOCKはすぐに買ってくれなかった。

今考えれば、それもそのはず…。学生が値段の高い時計なんてつけて何になる。家に掛け時計と目覚まし時計があれば充分で、学校に行けばチャイムが時間を教えてくれる。放課後もどこからともなく5時か6時のベルが聞こえてきて、それを目安に家に帰れば充分である。

水中に何メートルもぐれるとか、今いる場所の高度がわかるとか、ゾウに踏まれても大丈夫とかいう機能は、いつ役立つやらわからない。「ゾウに踏まれても大丈夫なんやって!」と祖父に力説したような不確かな記憶があるが、説得力がなさすぎる…。

甘やかすのが愛ではない、と今になってよくわかる。孫にねだられて何でもほいほいと買ってあげれば孫は喜ぶかもしれないが、買ってもらえるのが当たり前になっては感謝の気持ちも生まれにくいだろうし、我慢したり工夫したりすることを覚えない。結局、G-SHOCKは買ってもらったんだけど、すぐに買ってもらえずにもやもやしていたときのことがやけに記憶に残っている。


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by 硲 允(about me)