モノの機能は多ければ多いほどいいというものではない。
by 硲 允(about me)
G-SHOCKの話を書いたが、せっかくいろんな機能がついているのに、高度計が役立つような場所に出かけることもなければ、気温すら時計でチェックしないし、ゾウに踏まれることもなかった。
パソコンを買うと、最初からいろんなソフトがインストールされているが、普段使うのはブラウザとオフィスくらいのもので、使わなさそうなソフトをひたすらアンインストールする。
ケータイにしても、通話ができれば充分なので、ケータイ会社はしつこくスマホに乗り換えさせようとしてくるが、今もフィーチャーフォン(いわゆるガラケー)を使い続けている。ケータイのプランは、ネットが使えないものを選んでいるので、SNSはもちろん、メールも使えないけれど、特に困らない。ネットが使いたいときはパソコンの前に座る。パソコンの画面とキーボードで操作したほうが効率がいいし、いつでもネットに接続できない環境にいるほうが自分の頭を使う。わからないことがあると、自分でまず考えたり推測したりしてみることもなくすぐにスマホで調べていると、頭脳がなまけて「スマホ頭」になってしまうのではないかと思う。
アナログの道具ですら、人間の頭を怠惰にさせる。予定を全部正確に覚えている人に手帳をあげたら、予定を全然覚えられなくなったという逸話を読んだことがある。紙に書いておけば安心、ということで、自分の記憶力を使わなくなる。学校の授業を聞きながらきれいな字で、いろんな色を使って立派なノートをとっても、頭の中に知識や情報が入っていなくていざというときに活用できなければ意味がない。
モノの機能は、かなりの程度、人間をコントロールしているように思う(意識的に使わなければコントロールされてしまう)。その機能が必要かどうかを考えず、目の前に差し出されたから使う、ということになりがちだけど、それによって自分の頭や時間やエネルギーの使い方を左右される。
便利っぽく見えて、実はたいして必要ではないモノも多い。うちでは掃除機も冷蔵庫も電子レンジ、炊飯器、洗濯機、テレビも使っていないけれど、特に困らない。
便利なモノや便利な機能は、自分の体や頭脳を怠けさせない程度に、必要最小限を心がけたいと思う。
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