居間に新しい机を設置するついでに、床や窓ガラスの掃除をし、書類を整理した。積み重なった書類の中から、2年くらい前に作った和綴じのノートが出てきた。背や小口に埃がびっしり付き、ページを繰ると白い紙が黄ばんでいて、いっそ捨ててしまおうかとも思ったが、親指と人差し指でつまんで台所まで持って行き、窓を開けて埃を払った。部屋の中で見ると手にするのも嫌なくらい汚く思えたが、窓から外に手を出して埃を払っていると、不思議と大した汚れには思えなくなる。窓から埃を払うときに、そう感じることがこれまでにも何度かあった。部屋の中にいるのと、手だけでも外にいるのとでは、身体の感覚が異なるらしい。

東京で暮らしていた頃、家で誰にも見せないノートに自分の考えを書いていて、煮詰まったのでノートを持って公園へ散歩に出掛けた。公園で芝生の生えた、少し高くなった場所に腰を下ろし、ノートの続きを書いた。書き始めて間もなく、さっきまで書いていたことからかなり遠いところに考えが飛んだ。ずいぶん狭苦しいことをつらつらと書いていたものだと自分でも呆れるくらいだった。そして、やはり人間というのは、頭で考えているようで、実は身体でも考えているのだと思った。身体が健康で快適なときには、思考も前向きになる。その反対に、身体に不具合があると、思考も後ろ向きになり、無理して考えても碌なことが浮かばず、もう寝てしまったほうがいい、となることもある。思考と身体は切り離せない。

マスクをして部屋をうろちょろしながら、そんなことを考えた。


【関連記事】
by 硲 允(about me)