いつの頃からか、仕事のために人生を犠牲にするのは嫌だと思っていた。仕事のために生活を犠牲にするのは嫌だと思っていた。
ぼくらはたいてい、一日の大半を仕事に費やしている。その仕事が自分のやりたいことと合致していたり、自分の目的を達成するために必要だったりすればそれもいいけれど、どうでもいい仕事なのに、生活に必要なお金を稼ぐためだけに一日の大半の時間を費やすのは我慢ができない。
「それが仕事というものだよ」「それが社会人になるということだよ」「それが大人になるということだよ」
誰かがそう言うかもしれない。
しかし、生き甲斐を感じる仕事というのも世の中には存在する。今の仕事がつまらなくて、今のところは他に選択肢がなさそうでも、探せばいつか見つかるかもしれない。
「社会人」という言葉は意味がわからないので、ぼくは自分では使わない。グーグルで「社会人 意味」まで入力すると、「社会人 意味不明」という候補が出てくる。同じように感じている人が多いのだろう。岩波国語辞典で「社会」という言葉を調べると、「①(人間が)集まって生活を営む、その集団」と書かれている。「社会人」は、「実社会で活動する人」とある。「人間が集まって生活を営む、その集団」には、学生や子どもも含まれるはずだが、「社会人」という言葉の中の社会では、学生や子どもが除外されている。学生や子どもは「実」の社会には生きていないというのだろうか。やはりおかしな言葉だ。「学生」と対比して、どこかで働き始めた人間のことを示す用語をつくりたかったのだろう。
「社会人になる」「大人になる」というのは、自分がやりたくないことをしている自分に甘んじることだろうか。家庭があるから、子どもがいるから、何々だからといって、自分が望まない状況を打破しようとせず、その状況に甘んじることだろうか。
人間はもっと自由に生きられるはずだ。
世間の評価を捨て、親からの束縛を解き放ち、友人・知人からどう思われるかを度外視し、独りになることを恐れなければ。
今の状況で満足なら最高だが、不満なところがあれば、自分で変えていける。「バランス」などといって、何でもトレードオフで考える必要はない。「今はこういう嫌なこともあるけれど、そのおかげでこういういいこともある。もしこうしたらこの嫌なことはなくなるけど、その場合はこんな心配がでてくる。だから総合的に考えたら、今の状況がベストのはずだ」。こんなふうに考えていると、いつまで経っても今の嫌なことを続けなければならない。そして、今がベストだと思い込みたいから、他の選択肢は見て見ぬふりをする。
不満があるなら、それを解決する方法を考えよう。望んでいることがあるなら、それを叶える方法を考えよう。望んでいることと一緒に望まないことも付いてきそうなら、望んでいることだけを叶える方法を考えよう。きっとあるはずだ。言い訳はやめよう。自分が何を望んでいるのか、自分の望みと真っ正面から向き合おう。それを叶える方法を必死で考えよう。思い切って行動に移そう。
ぼくは未だに気の進まない仕事をすることもあるが、一日の大半は、自分の気の向くことだけをして暮らせるようになった。少しずつ少しずつ、やりたくないことを切り捨て、やりたくないことをしなくても暮らせるように、お金のかからない暮らしにシフトして行った。そのために日常の暮らしで我慢を強いられていることも特にない。お金のかかる便利なものが少ない代わりに手足を動かすのは楽しい。これからますます、気の進まないことを減らし、気の向くことだけをして暮らしていきたい。それはわがままだろうか。もっとわがままになりたい。他人に迷惑をかけない範囲で。
何かをいやいやして暮らしている人は、他人にも何かをいやいややらせたがる傾向がある。そのほうが安心するから。自分ばかりいやいや何かをしているのは不公平だと思うから。
毎日楽しく暮らしている人は、他の人もみんな楽しく暮らせるようになったらいいのにと思う傾向がある。そのほうが安心するから。自分ばかり楽しんでいるのは不公平だと思うから。
どんな人生を生きたいかは人それぞれ。どんな仕事をしたいかは人それぞれ。
だけど、毎日楽しいことをして暮らしたい、というのはみんな共通。
それは可能なはずだ。一気には実現できなくても。本気で願い、本気で行動に移せば。
みんなで前に進んでいこう。自分が本当に行きたい場所に向かって。
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